変動する文化とその接触 折井『キリシタン文学における日欧文化比較』

 折井善果『キリシタン文学における日欧文化比較 ルイス・デ・グラナダと日本』は、表題からするとグラナダに焦点をしぼっているようにみえるものの、じっさいには西欧文化と出会った戦国日本の経験をひろく探る書物となっている。

 第一部では論じられるのは、ルイス・デ・グラナダという人物の解説と、その各地での受容のありようだ。信仰文学の出版が盛んであったスペインにあって、グラナダは中世以来の神学・哲学の伝統に根ざしながら、どうじに宗教改革が突きつけていたカトリック教会への挑戦にこたえるかたちで、著述活動を行った。彼は民衆への伝道を重視し、彼らに分かる俗語で狭義の解説書を執筆した。彼らに教えをよりよく伝えるための説教方法の整備にも尽力した。

 各地に残された目録の分析からはグラナダの著作がスペインを超えてひろく読まれたことが分かる。とくに女性に好んで読まれていたことが目を引く。アンデスから、ゴア、そして中国にいたるまで彼の書物は伝播していた。宣教と観相的生活とのバランスを説く彼の教えは、それらの地で活動する宣教師たちの精神的支柱となった。自然の秩序から神の存在が証明できるとする自然神学の思想をふんだんにふくむ教理書は、キリスト教の伝統がない地域での宣教に効果的であるとも考えられた。

 グラナダの著作は日本でもひろく読まれており、第二部ではこの理由が考察される。著者があげる理由の一つは、神の存在を自然の秩序から理性的に証明する教えがグラナダの著作におおく含まれていたことだ。これが元来キリスト教をしらないが、しかし理性的論証に好意的な日本人(すくなくとも宣教師たちはこういう印象を持っていた)への布教に効果的であった。だが著者それだけではなくもう一つグラナダの著作が、説教として効果をもつような豊かな言語表現に満ちており、これがそれを聞く日本人のあいだに感興を引き起こしていた可能性を指摘する。グラナダの著作の日本語訳では、この言語表現上の効果をさらに増幅されるような修辞がこらされていることも確認される。

 つづいて著者はグラナダ受容を促進した理由がもう一つつけくわえられる。しかしこれは受容の理由というより、グラナダの理論の特質と、その特質が日本語に翻訳されるさいに強化されたという事情の解説であるように思われる。議論の要点は、当時のカトリック圏で勃興していた実践を強く思考する倫理理論が、日本語への翻訳を通して、さらに義務上の勧告を行う性格を強めたというものである。

 第三部からは必ずしもグラナダにかぎらず、キリスト教と日本の文化が接触したときになにが起きたかが論じられる。焦点となるのが浄土真宗との関係だ(川村信三の研究により近年再注目されている論点である)。『歎異抄』の教えの根幹には絶対他力がある。人間が現世でなにをしたかは救いには直結しない。そもそも来世に関する教えが親鸞の教義では重要性を持っていない。しかしこのあまりにラディカルな教えは持続せず、蓮如のころには浄土真宗のうちにも現世での行いへの来世へのむくいという考えが浸透してきていた。キリスト教は、その文書を日本語に翻訳するさいに、このような浄土真宗内におきていた変貌を取りこんだ。現世における善行(自力)が、神による絶対的な恩寵(他力)によって無効化されないような論理が組みあげられることになる。

 つづいて報謝概念をめぐる検討がなされるものの、その趣旨は一読しただけでは理解できなかった。要再読。

 最後に「自然(じねん)」をめぐる衝撃的な考察が置かれる。なんとこの単語、キリシタン文学のなかで「偶然」を意味する言葉の訳語として使われていたというのである。世界は神の摂理によって支配されているのであって、自然(偶然)によって成り立っているのではないというのだ。この対置がやがて興味深い議論を生む。自然という言葉があわせもつ「自ずから」という意味が強調され、自然によって草木は芽生えているのだから、神の摂理など必要ないという論客が現れるのだ。こうしてキリスト教が批判される。丸山眞男による有名な自然から作為へという議論も引かれており、日本思想史とも接続可能な箇所である。

 異質な文化の接触に焦点をあてた研究は近年おおく、日本の戦国時代の経験も大きな研究主題となってきた。そのなかで本書がもつ強みは、日本、西洋といった文化圏を静的なものとしてとらえていない点にある。それらがそれぞれの時代状況のうちで変化しつづけていると強く意識されている。日本を研究対象とする歴史家の西欧像が平板なものとなる傾向がある現状に照らすと、これは大きな認識の深化である。たとえば日本にもたらされた哲学がカトリック公認のそれであったとき、参照項としてダイレクトにトマス・アクィナスが引かれ、それ以上の探求がなされないことがしばしばある。著者はそれにたいしてアクィナスの教義をうけて、それがルネサンス人文主義文化と対抗宗教改革の機運のなかでどのような変貌をとげていたかを、スペイン語史料を読みこむことで明らかにしている。

 西洋側への本格的な考察はまた、トレント公会議後の説教改革運動がグラナダを駆動し、それが彼の教えの日本での受容に寄与したという新たな主張を生みだしている。これまでは古くは海老澤有道、あたらしくは平岡隆二により、日本に宇宙論を中心とする哲学が積極的に持ち込まれたのは、日本人に自然神学による神の存在証明が効果的であったからだという説がとなえられてきた。しかしそのような存在証明はどうやって述べ伝えられたのか。宣教師による修辞をこらした言語表現によってである。教義とそれを聞く人々とをつなぐ媒介への着目なしには、西洋文化の日本への移入のありさまを描き出すことはできない。この著者の論点を、西欧の説教文化を研究している大黒俊二や赤江雄一の研究と接続するみちもひらかれているように思われる。

 本書はスペインと日本語の両史料をふんだんにもちいて書かれた文化史の傑作である。日本の戦国時代、およびその時代の宗教思想に関心をもつ人だけでなく、哲学の伝統やキリスト教史の研究にたずさわる人々にもすすめたい。