天使は質料と形相からなるのか

 論文を書くための下調べとして、天使の本性について中世で戦わされた議論についてメモをとりました。用いたのは次の2つの研究です。

Angels and Angelology in the Middle Ages

Angels and Angelology in the Middle Ages

  • James Collins, The Thomistic Philosophy of the Angels (Washington, DC: Catholic University of America Press, 1947).

[Keck 93-99]

 天使を質料と形相の結合体とみなすことができるかという問題は多くのスコラ哲学者を悩ませてきた。この問題が重要視された背景には11世紀のユダヤ人哲学者アヴィケブロン(1021/22-57/58)の学説が与えたインパクトがある。彼は著作『生命の泉 Fons Vitae』のなかで神だけが単純な存在者で、ほかのすべてのものは質料と形相の結合体であると論じた。したがって霊的な実体も質料と形相を有することになる。ただしその場合の質料は量を欠いた「霊的な質料」であるとされた。この霊的質料の学説はヘイルズのアレクサンデル(c. 1185-1245)によっても唱えられ、その弟子を自認するボナヴェントゥラによって天使論へと取り込まれた。『命題集』への注解のなかでボナヴェントゥラ(c. 1217-74)は、天使は質料と形相からなるとし、その質料を霊的なものとみなしている。これに対してトマス・アクィナス(1224/25-1274)はアヴィケブロンへの批判を通じて天使を質料形相論の枠内で論じることに異議をとなえた。アヴィケブロンのように質料と形相を非常に広範囲の存在者に帰すことは、最終的に神にも質料を認めることになりかねない。アクィナスの考えでは、質料は必ず物体的であるから霊的な質料の存在を認めることはできない。したがって非物体的な天使は質料を持たず、ただ本質としての形相だけからなると考えるべきである。しかし同時に天使は神のような単純な存在者ではない。なぜならその存在は神に依存するからである。そのため天使においては、本質(形相)が神から「存在」を受け取る必要がある。こうしてアクィナスは質料・形相のペアを、本質・存在のペアに置き換えた。このことは彼の有名な存在の形而上学のかなめを天使論がなしていることを意味している。