アクィナスの聖餐論 Bakker "La raison et le miracle"

  • Paul J. J. M. Bakker "La raison et le miracle: les doctrines eucharistiques (c.1250-c.1400): contribution à l'étude des rapports entre philosophie et théologie," 2 vols. (Ph.D. dissertation, Katholieke Universiteit Nijmegen, 1999), 170-77.

 1250年頃より、聖餐論に新たな論点が浮上しはじめる。実体変化(transsubstantiatio)が起きる過程が問題となりはじめるのである。この新展開を引き起こしたのはトマス・アクィナスであった。アクィナスは聖餐式にさいして、パンの実体が残り続けるという学説と、実体が消失するという学説の双方を否定する。パンの実体がキリストの身体の実体に変化したと考えねばならないというのだ(実体変化論)。パンの質料と実体形相が、キリストの身体の質料と実体形相へと変化する。通常の変化にあっては、変化の基体として同一の質料が存続せねばならない。しかし聖餐のさいには神が質料と形相の双方を変化させる。

 だがこの学説はアクィナスの別の学説との両立が困難であった。アクィナスによれば、一つの実体には一つの実体形相しかない(実体形相の単一説)。とすると、パンの質料と形相は必然的に、キリストの質料とキリストの理性的霊魂へと実体変化することとなる。だがアクィナスによれば、キリストの霊魂は実体変化の直接的結果物ではない。それはキリストの身体に随伴して現れるものである。この困難を解消するため、アクィナスは霊魂の機能をめぐる二つの区分を立てる。霊魂は身体にその物体性を与える機能と、身体を霊魂づけられたものにする機能の二つをもつ。パンの実体形相が実体変化することにより生じるキリストの霊魂は、前者の物体性を与える機能だけを有する。こうして生じたキリストの身体に随伴して、霊魂づけるキリストの霊魂の機能が生まれるのである。こうして実体変化、実体形相の単一説、そうしてキリストの理性的霊魂が実体霊魂の直接的産物ではないという3点をアクィナスは両立させたのであった。だがこの学説は異論を引き起こすことになる。