- 井上文則「ローマ帝国における『不敗の太陽神 Sol Invictus』崇拝」『史境』63, 2011年、54–63ページ。
「不敗の太陽神 sol invictus」という文言はシリアのエラガバルス神であるという通説を覆そうとする説が最近現れています。その説の妥当性を検証する論文を読みました。通説の論拠は2つあります。一つは「不敗の太陽神」という文言がエラガバルス神を指すことが確かな箇所が存在することです。しかしこれは「不敗の太陽神」のすべてがエラガバルス神を指すことを意味しません。それはミトラ神のことを指す場合もあるからです。もう一つは『ヒストリア・アウグスタ』の記述に依拠した解釈です。しかし(詳細は省略しますが)この解釈にも難点があるとされます。
通説に対してハイマンスは「不敗の太陽神」というのは伝統的なローマの太陽神に「不敗の」という称号が付されたものに過ぎず、シリアから導入された神格が伝統的なローマの太陽神にとって代わったということはないと論じています。確かにローマにおける不敗の太陽神をシリア起源とする史料は残されていません。「不敗の」という称号もギリシア世界では伝統的なもので、東方起源のものと考える必然性はありません。太陽神崇拝の高まりをローマに伝統的な信仰の延長としてではなく、東方からの新たな神格の流入と考える通説にはある偏見が潜んでいるとハイマンスは主張しました。「太陽のような天体や星辰の崇拝は本来ローマ人の信仰ではなく、外来の信仰であり、『劣った』オリエント人がもたらしたものであると考える19世紀ヨーロッパ人の偏見」です(57ページ)。
しかしだからといって「不敗の太陽神」がときにエラガバルス神を指し、ときにミトラ神を指していたことも否定できません。ハイマンスの問題提起から明らかになったのは、「不敗の太陽神」という文言のうちには、これら2つの神ではなく伝統的なローマの太陽神を指すものがあるということが考えられるということです。言い方をかえれば、「不敗の太陽神」という文言だけでは、それがエラガバルス神を指すのか、ミトラ神を指すのか、はたまたローマの太陽神を指すのかは断定しがたいということです。そもそも不敗の太陽神というとき、そのような明確な区別が当時のローマ人のあいだでおこなわれていたのか疑問です。人によっては系統を問題視せずに単に太陽神を崇拝していた可能性があります。2世紀以後のローマで人気を博したのは主としてこのような系統を度外視した太陽神崇拝であると考えられます。
関連論文
- S. E. Hijmans, "The Sun Which Did Not Rise in the East: The Cult of Sol Invictus in the Light of Non-Literary Evidence" BABesch: Bulletin Antieke Beschaving 71 (1996): 115–50.