仕事と使用価値 ヴェルナン「古代ギリシアにおいて仕事は心理的にどう捉えられていたのか」

ギリシア人の神話と思想―歴史心理学研究

ギリシア人の神話と思想―歴史心理学研究

  • ジャン=ピエール・ヴェルナン「古代ギリシアにおいて仕事は心理的にどう捉えられていたのか」『ギリシア人の神話と思想 歴史心理学研究』上村くにこ、ディディエ・シッシュ、饗庭千代子訳、国文社、2012年、415–423ページ。

 20世紀を代表する古代哲学研究者の一人の論文集が邦訳されました。大変喜ばしいことです。今日は古代ギリシアにおける仕事の捉え方が、当時の哲学的思惟をいかに規定したかを論じる論考を読みました。現在のように市場を媒介として諸々の仕事が同一の交換価値という基準で比較され評価されるということは古代ギリシアではありませんでした。農業は仕事ではないと考えられていたため、その範囲は職人仕事に限定されており、しかも仕事は常に具体的な制作物をつくるためにあり、その制作物はそれを使用する者のためにあると考えられていました。仕事はもっぱらそれが生み出す製品の使用価値の観点から評価され、そのような価値に従属する営みとみなされました。この仕事観は哲学的考察にも反映されています。考察の対象が制作であれ生成であれ、その過程を統御するのはあくまで出来上がるものの「形」、つまりそのものの目的であるとされ、その製作者や生成者は目的に対して従属的な地位に置かれました。目的因の作用因に対する優越です。また目的性の重視は行為(プラクシス)を制作(ポイエーシス)より優位に置く思考を導きました。職人は自らの外部にある使用者の必要性にしたがって製品をつくります。このような自己完結せず他人に隷属する制作という営みは、行為の目的が行為者自身に帰属するような行為(たとえば精神的活動)よりも劣るとされたのです。