信仰と知 リンドバーク「科学と初期のキリスト教会」

神と自然―歴史における科学とキリスト教

神と自然―歴史における科学とキリスト教

 キリスト教会が科学の進展をさまたげてきたのか、それともそれに寄与してきたのかという問題は長きにわたって論争の焦点となってきました。この問題を議論するときに注意しなければならないのは、キリスト教が現れた古代世界では現代の科学に正確に対応する営みはなかったということです。そこにあったのは自然哲学をその一部とし、形而上学、神学、倫理学などを含みこんだ統一性の高い知的活動でした。またキリスト教を批判する陣営がしばしば前提とする合理的な異教哲学の伝統と、非合理的な信仰という対比も、キリスト教が出現した時代において哲学が救済を目的とする宗教に近づいていたことを考えるならば、安易に前提とすることはできません。このような点を念頭に置きながら、キリスト教と異教の関係を見ると何がわかるでしょうか。

 キリスト教が知的活動を活性化させたのは、2世紀にはいって内部では教義論争が起こり、外部からは批判が激しくなってきてからのことでした。これ以後のユスティノス、アテナゴラス、アンティオキアのテオフィロス、アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネスといった人々は、ギリシア哲学に通じ、特にプラトン哲学をキリスト教に近いものとして敬愛していました。しかし哲学に懐疑的なタティアヌス、ヨハネス・クリュソストモスといった人物もまた存在しました。テルトゥリアヌスは「一体アテネエルサレムと何の関係があるというのか」(28ページ)という問いに「何の関係もない」と答えたことにより、反知性主義の体現者のようにみなされています。しかし彼が哲学に反対したのは哲学が異端の温床となっている場合であり、異端批判の文脈を離れたときにはむしろ理性を好意的に評価していることを忘れてはなりません。アウグスティヌスはその後の哲学へのキリスト教徒の態度を強く規定しました。彼は信仰が理性的探求の前提にあることを認めながら、そのことは理性の行使を不必要とするのではなく、むしろ信仰が知識として理性的に理解されることを要請していると考えました。

 自然についての知識を得ようとする活動をキリスト教は押しとどめたのか、それともそれを促進したのか。キリスト教は現実の自然世界に最上の価値をおくことも、この世界を軽蔑して彼岸のみを希求するということもしませんでした。アウグスティヌスキリスト教徒は被造物の原因は神にあると信じれば十分であり、ギリシア人が自然学者と呼んだ人々のやり方にならって世界を探求する必要はないと考えていました。しかし同時に彼は「『聖書』の意味を解き明かすはずのキリスト教徒が、以上のような[自然に関する]話題についてたわごとを語るのを不信仰者に聞かれるならば、みっともなくかつ危険ですらある」と述べていました(35ページ)。自然の探求は第一義的な目標ではないものの、まったく等閑に付してよいようなものでもないとされたのです。

 キリスト教徒たちの哲学や自然探求への態度は一様ではなく多様でした。とはいえ彼らは基本的に自然探求にそれ自体で意義を認めることはありませんでした。この意味でキリスト教が科学の発展に積極的に寄与したとはいえません。しかしそれはキリスト教が自然探求活動を妨げたということは意味しません。キリスト教徒たちは哲学(特にプラトン哲学)を自分たちの教義を正当化したり解説したりするさいに有用であると判断し積極的に活用することを行いました。こうして(自然に関するものを含む)哲学的知は教父たちの著作を通して伝承されることになったのです。