講演会「科学伝来 南蛮系宇宙論と近世日本」参加記

 東京大学駒場キャンパス不定期開催されている駒場科学史講演会に参加してきました。今回は熊本県立大学の平岡隆二さんに新著『南蛮系宇宙論の原典的研究』(花書院、2013年)のエッセンスを語ってもらい、それに法政大学博士課程の川崎瑛子さん(江戸時代の本草学; http://researchmap.jp/eco_k/)、および明治学院大学研究員の清水有子さん(近世日本の対外交渉史、キリシタン史; http://yukoshimizu.blogspot.jp/)にコメントしてもらうという企画を立てました。この組み合わせが功を奏して、学術的に密度の濃い議論ができたと思います。

 まず平岡さんが自著の論点を大きく二つに分けて語ってくれました。第一点は霊的武器としての宇宙論というものです。16世紀の日本に布教にやってきたイエズス会士たちは、単にキリスト教の教えを説くだけでなく、当時のヨーロッパの宇宙論もまたしばしば講釈していました。この活動には、自然現象の理性的説明に強い関心を示す日本人に、宇宙の仕組みを説明して見せることで、ヨーロッパの知識への感嘆の念を引き起こし、以後の改宗を容易にする目的がありました。しかし『南蛮系宇宙論の原典的研究』ではさらにより一歩踏み込んで、宇宙論の講釈は布教本体の前段階ではなく、キリスト教信仰を日本人に植えつける活動の一部に組み込まれていたことが明らかにされます。というのも、宇宙論唯一神の存在を証明する強力な手段として認識されていたからです。宇宙論により明らかにされる自然にある秩序が、その秩序のデザイナーであるところの神の存在を証明しているとされたのです。イエズス会の宣教活動においては、まず自然現象について解き明かすことで、日本人の好奇心を突破口にヨーロッパ文化への讃嘆の念を植えつけました。続いてそこからシームレスに宇宙論からの唯一神の存在証明へと進むことで、すべてのキリスト教教義の前提である神の存在を人びとに信じさせようとしたのです。自然に関する知識は日本人を神へと導く最短の経路を提供すると考えられていたと言えます。

 『南蛮系宇宙論の原典的研究』のもう一つの眼目は、こうして16世紀にイエズス会士らが伝えた宇宙論(南蛮系と呼ばれる)が、禁教後の日本でも流通し続けていたことを、全国に残された写本の調査、分析から明らかにした点にあります。しかもその流通の形態は、禁じられた西洋由来の学問が密かに伝えられていた、というものではありませんでした。むしろ日本に存在した別種の学問、たとえば蘭学や医学系の運気論と比較されたり混ぜあわせられたりしながら、南蛮系宇宙論は江戸時代を通じて伝えられ、学ばれていたのです。

 このような内容を持つ『南蛮系宇宙論の原典的研究』にたいして、清水さんが提起したのは、「当時の日本人が自然現象の説明に強い知的好奇心を示した」という点へのより深い考究が必要であるということでした。当時の宣教師たちの多くが日本人の特質として、このような好奇心の存在を指摘している以上、それがある程度現実に対応した認識であったことは認められるでしょう。しかしではなぜ日本人は強い好奇心を示したのか?いかなる歴史的条件の存在が、そのような特質を生み出すにいたっていたのか?この点を明らかにしなければ、南蛮系宇宙論の日本における受容という歴史的事象の解明には至らないだろう。

 この問題を考えるにあたって清水さんが提起した仮説は、(私なりに要約すると)西欧宇宙論の到来以前に、日本にも何らかの体系性を持った宇宙理解の基盤があったのではないかというものでした。西洋の宣教師たちは、仏僧たちによる自然現象の説明にはいかなる道理も欠如しているために、自分たちの宇宙論が日本人から感嘆の念を呼び起こしたと誇っています。しかしこの理解をうのみにするのではなく、むしろ西欧宇宙論に触れた日本人は、これまで自分たちが持っていた道理の体系とは異なる道理に出会ったからこそ、新しい道理の内実を深く知りたがったのではないか。平岡さんの応答によれば、日本人の手になる宇宙論の書物というのは、ほとんど書かれておらず、そのため当時の宇宙認識の有り様を探ることは極度に困難であるようです。しかし平岡さんも認めているとおり、イエズス会による布教戦略という面からのアプローチは、その戦略が適用された側の面への理解によって補完されねばなりません。

 一方江戸の本草学を専門とする川崎さんのコメントは、(私の理解によれば)『南蛮系宇宙論の原典的研究』の問題構成にある不均衡を切り口とするものでした。同書の前半部では自然に関する知識がどのように活用され、またその活用をうながしていたのはいかなる動機であったかが明らかとされています。対して後半部では自然に関するあるタイプの知識が伝承されていたという事実とその経路の解明に重点が置かれ、その長きにわたる伝承を可能とした動機の側面が語られていません。川崎さんの指摘は、禁教後の南蛮系宇宙論を扱う後半部でも、やはり知識の用いられ方と、その背後にあった動機の解明が不可欠だとするものでした。そのさいの川崎さんのコメントがとくに啓発的であったのは、残存する史料がどうしても限られる南蛮系宇宙論の伝承理解を、史料的に豊富な本草学をはじめとする他の近世の学問分野で起きていたことと突きあわせることを提唱していた点にありました。このようなアプローチでとくに注目に価するのが、南蛮系宇宙論を学んでいた人物が、同時に本草学書も書いているというような事例です(実際にいるらしい)。このように視点を拡張することで、近世の知の世界において南蛮系宇宙論がいかに認識され、どう活用されていたかが明らかになる可能性がひらけるとともに、南蛮系宇宙論の位置づけの変化を糸口に、江戸学問のあり方の変容を探ることも視野にはいってきます。

 本講演会では平岡さんと近しい専門領域を持ちながら、しかし正確には重ならないコメンテータが独自の視点から問題を提起することにより、たしかな専門性のうえに立ちながらしかし同時に広角的な視野からの討議が可能となっていたと思います。