プラトンをめぐる新教と旧教 Gerson, "Cherniss and the Study of Plato Today"

 北米でのプラトン解釈の傾向を、Harold Chernissというプリントン高等研究所に所属していた研究者の影響の帰結として読みとく論考である。21世紀の新プラトン主義者による20世紀プラトン主義への攻撃であり、その戦闘的姿勢は読んでいて楽しい。批判がフェアであるかどうかはまた別の問題である(本当に「数の教説」は軽視されているのだろうか?)。

 著者によれば、世界には二種類のプラトンの読み方がある。プロテスタント系の読み方とカトリック系の読み方だ。カトリック系の読み方では、正典たる対話篇のみならず、その後のプラトンにまつわる証言や、プラトン主義の伝統もプラトン理解に欠かせない。この立場で重要な意味を持つのがアリストテレスの証言である。アリストテレスプラトンイデア論について次のようにいっている。

なおまた、エイドスは他のあらゆる存在の原因であるから、それぞれのエイドスの構成要素はまたあるゆる存在の構成要素であるとかれ[プラトン]は考えた。すなわち、質料としては「大と小と」が、実体としては「一」が、そうした原理であるとした。というのは「一」に与ることによって「大と小と」から数は存するに至るから、というのであった。(『形而上学』1巻6章987b、出隆訳)

ここでアリストテレスは、プラトンがあらゆるものの存在の根拠として、「一」と「大と小と」(「二」ともいわれる)を想定したとしている。このうち前者は『国家』にあらわれる善のイデアであるという。

 他方プロテスタント系のプラトン解釈とは、「正典のみ sola scriptura」の原則にしたがい、プラトンを対話篇だけから解釈しようとする試みである。この立場に立つと、前述のアリストテレスの証言はやっかいな問題を引きおこす。というのもこのいわゆる「数の教説」はプラトンの対話篇に現れないからである。そのためアリストテレスの証言は、プロテスタント系の解釈では信頼の置けないものとして排除される。

 20世紀の北アメリカを代表するプラトン研究者の一人であるHarold Chernissはプロテスタント系の解釈を推進し、アリストテレスの証言を信頼できないものとして退けた。これは50年代おわりから60年代初頭にかけて、ドイツのチュービンゲンで生みだされたHans Joachim Krämer『プラトンアリストテレスにおける徳』や、Konrad Gaiser『プラトンの書かれざる教説』といった研究と対照をなしている。というのもこれらドイツの研究者は、アリストテレスの証言に重きをおいてプラトンを解釈するというカトリック系の読みを行っていたからである。ドイツ系の動向が英語圏に反映されなかった原因の一つは、当時の北米でプラトン研究を牽引していたもう一人の研究者であるGregory VlastosがGnomon誌に、Krämerを厳しく批判する長尺の書評を執筆したことにあった。これにより、ドイツ系カトリック的解釈は以後北米プロテスタント圏で軽視されるようになる。

 Chernissのプラトン解釈はプロテスタント系であるばかりでなく、ユニテリアンでもあった。プラトンの対話篇には、対話篇だけから抽出できるような一貫した形而上学的で認識論的で倫理的な世界観があるというのだ。この立場から、彼は対話篇のうちで少しでもアリストテレスの証言にある「数の教説」を指示するようにみえる教えについて、その重要性を押し下げていった。たとえば『ティマイオス』にあるデミウルゴスが「形と数を用いて[万有の秩序を]形づくった」という箇所は重要性を持たないとされた。何よりも『国家』での善のイデアの措定から重要性が剥奪される。こうして構築されたプラトン像は、現代のアカデミアの聴衆にとって受けいれやすいものとなっていた。脱神話化されたプラトンである(たとえばエイドスは単なる普遍であるとされたりする)。このChernissの読みは昨今の英語圏プラトン解釈でも引きつがれている。プラトン形而上学を扱った近年の5つの著作は、奇妙なことに善のイデアについてほとんど語らない。

 アリストテレスの軽視は、プロテスタント系に独自のプラトン倫理解釈を産みだしもした。Chernissと異なり発展論的解釈を打ちだしたVlastosは、プラトンは初期の対話篇をソクラテス的対話篇とし、そこには後のプラトンにみられるような形而上学的思索はみられないと主張した。この対話篇に見られるソクラテス像こそ歴史的ソクラテスなのだとされる。だがこの想定もまたアリストテレスの証言を軽視している。アリストテレスは言っている。

というのは、若いころからプラトンは、初めにクラテュロスに接してこの人のヘラクレイトス的な意見に親しんだ。そして、この意見では、およそ感覚的な事物はことごとく絶えず流転しているので、これらの事物については真の認識は存しえないというのであるが、この意見を彼は後年になってもなおそのとおりに守っていたからである。(『形而上学』1巻6章987a、出隆訳)

プラトンは若いころから形而上学者であった。そのプラトンが、自らの哲学を抑圧して、ソクラテスの死後も(初期対話篇にはソクラテスの死が描かれている)歴史的ソクラテスに忠実な対話篇を書いていたというのだろうか。

 Cherniss流のユニテリアンな解釈も、Vlastosの発展論的な解釈も、アリストテレスの証言を軽視し、「一」たる「善のイデア」の重要性を認めない。そこからプラトンによる「善い」とは相対的なものではなく、絶対的に「善い」のであるという主張が説明しがたくなる。「善のイデア」なしにどうして「善」が絶対的に規定されうるのか。また「善のイデア」が「善」を規定していないなら、どうしてプラトンは「善のイデア」を想定する必要があったのか。

 ChernissやVlastosは反形而上学的で、奇妙に現代の読者の耳に適合するプラトン像を築きあげた。「対話篇のみ」の原則からアリストテレス証言の排除することにより、「一者」を中核にすえる古代プラトン主義によるプラトン解釈とはまったく異なるプラトンを提示してみせたのである。だがこの脱神話化されたプラトン解釈は多くの問題を抱えている。この帰結を前にして、著者はChernissの影響は「有害であった」として本論を結んでいる。