アリストテレス主義の変容としてのルネサンス哲学

New Perspectives on Renaissance Thought: Studies in Intellectual History in Memory of Charles Schmitt

New Perspectives on Renaissance Thought: Studies in Intellectual History in Memory of Charles Schmitt

  • Eckhard Kessler, "The Transformation of Aristotelianism during the Renaissance," in New Perspectives on Renaissance Thought, ed. John Henry and Sarah Hutton (London: Duckworth, 1990), 137–47.

 ルネサンス哲学の全体をアリストテレス主義の変容として理解しようとする野心的な試みです。ペトラルカ以降、人文主義の勃興とプラトン主義の復興によりアリストテレス主義は単なる保守と反動の牙城になってしまった、というような理解はすくなくともチャールズ・シュミットの研究以来なされなくなりました。ケスラーはむしろアリストテレス主義の側を基準点にプラトン主義と人文主義を見ていくべきだと主張します。

 まずアリストテレス主義の位置づけが行われます。1400年代のアリストテレス主義は、イギリスからやってきた特異な論理学の導入と霊魂の不死性の問題を中心に動いていました。イギリス由来の論理学は人文主義者が役に立たないとして嘲笑してやまなかったものでしたし、世界における人間の位置づけも人文主義の勃興により哲学の中心的課題となっていました。これに15世紀終わりごろから、教会からのアヴェロエス説への弾圧と、古代ギリシア人注釈家の再発見が重なって、16世紀のアリストテレス主義は3方向に分裂します。

 第一にアリストテレスを第一の哲学者とみなして、彼を解釈することが哲学の真の道だと主張する方向です。これはポンポナッツィが提唱したときは、哲学の自律性を守る宣言であったものの、100年後にクレモニニが行った時には哲学的不毛さと反動性をあらわすだけになっていました。第二に新プラトン主義のレンズを通してアリストテレスを解釈し、両者をキリスト教の教義と一致させる方向です。第三にキリスト教の神学・形而上学の領域から自然哲学を切り離して、この後者の領域でのみアリストテレスの有効性を認めるという方向がありました。

 このようなアリストテレス主義の変容と、当時のプラトン主義を関連させて理解することができます。アリストテレスプラトンの調和を説く思潮は、新プラトン主義の視点からアリストテレスを解釈するという点で、上記の二番目のアプローチに近いものでした。アリストテレスは経験に基づく自然学の領域では権威であると考えるプラトン主義者の傾向性は、上記三番目の考え方とパラレルです。

 プラトン主義の形而上学に基づく自然へのアプローチを重視する考え方は、16世紀の新たな自然哲学に特定の傾向性を与えました。カルダーノからブルーノ、テレジオからカンパネッラらの思想は、アリストテレスの自然哲学を新プラトン主義の形而上学的原理に合わせる形で改変することで、自然に関する新たな知見を哲学に取り込もうとする試みであったと解釈されます。

 人文主義すらもアリストテレス主義を変容させようとする試みとしての側面を有していたとされます。新たな哲学体系の構築を拒否すること、倫理学を日常生活に適用可能なように組みかえること、論理学の地位を格下げすることはすべて、アリストテレスを思弁的な哲学者から経験主義的な哲学者へと変容させる試みであったというのです。

 このように見てくるならば、もはやアリストテレス主義というのは数ある哲学学派のなかの一学派ではありません。それはルネサンス哲学の共通の土台であり続けました。それは術語を定め、議論の形式を規定し、分野の分類の前提となっていました。あらゆる新しい立場はアリストテレスとの関係でその有効性を示さねばならず、またアリストテレスを媒介にして異なる哲学学派が相互に対話できたと言えます。