知を編成するマシーンとしてのフランス McClellan and Regourd, "Colonial Machine"

  • James E. McClellan, III and François Regourd, "The Colonial Machine: French Science and Colonization in the Ancien Regime," Osiris 15 (2000): 31–50.

 ルイ14世の時代からアンシャン・レジームの終了までのあいだの、フランスの植民地経営と科学支援の関係を、コロニアル・マシーン(colonial machine)というモデルで理解することを提唱する論文である。ここでマシーンというのは、さまざまな部分が全体の利益のために協働するように設計されているということである。実際この時代のフランスは、医学、天文学、地図学、植物学、海洋科学の分野で、さまざまな機関を設置し、これらの機関はフランス政府の管理のもとで、協働して有益な知識を生みだそうとしていた(この例の紹介が論考の大半を占める)。このような強固に組織化され、中央集権化された知識生産の仕組みは、同時代のイギリスには確認できない。

 だがこのような一体化したマシーンの外で生みだされ、流通していた知識もあった。フランス中央(パリ)で採用されていた科学理論はしばしば植民地では拒否された。宣教師たちの取得した情報は国家中央に回らないことがあった。国家の目の届かないところで、多数の実験が植民地で行われた。植民地で収集された情報はまた、しばしばパリに拠点を置く機関ではなく、地方の機関に集約された(だから現在でも地方のアーカイブで見つかる)。またイギリスやスイスといった諸外国との情報交換も、個人レベルでは行われていた。さらに植民地に設置された研究機関が、独立性を高めることもあった。ただしこれらの活動は、マシーンによって駆動される活動の総体と比べると重要性は低い。