ネルーに見る植民地後の科学 Arnold, "Nehruvian Science and Postcolonial India"

 インドのネルー(1889–1964)がとった科学政策から、植民地支配から脱したあとの地域が発展させる科学(ポストコロニアル・サイエンス)の特質を考察した論文である。ネルーの発言からうかがえるのは、彼にとって科学はたんなる自然についての知識ではなく、過去・現在をへて未来ヘつづくインドの歴史に統一性と意味をあたえるための道具でもあったということだ。古代に偉大な科学上の貢献をなしとげたインドの精神は、長きにわたり麻痺状態におちいっていたものの、イギリスがもたらした科学によりまた目覚めた。これからのインドは独立の主体として、国民に科学的思考法を根づかせることで国民の精神に変革をもたらし、それにより迷信を克服する。この科学精神のうえに築かれた豊かさが貧困を撲滅するだろう(この展望はインドにおける科学の歴史への理解にもとづいていたことから、ネルーはインド科学史の研究を推奨した)。

 またネルーは科学に外交的な意味も見いだしていた。冷戦時代に非同盟政策をとろうとしたインドにとって、科学を進展させ、その発展に寄与することは、他の(科学上すぐれた成果をあげている)国家にたいして権威を高め、かつそれらの国家と交渉するための回路をひらく方策でもあったからだ。

 ネル―が推進した科学政策はいくつかの制度的特徴ももっていた。第一にそれは中央国家による主導によりすすめられた(植民地時代の科学政策を引きついでいる)。第二にこの国家主導科学は(科学者個人というより)研究機関を中心に展開された。ネルーは植民地時代より引きついだ研究機関に加えて、いくつからの機関を新設している。

 インドは植民地支配を脱した国家のなかでは、科学を発展させるに有利な条件を持っていたと考えられる。そのためネルーの事例を植民地後の科学史全般に拡張することには慎重でなければならない。しかしそれでも以上あげた諸特質は他のポストコロニアル・サイエンスの歴史を分析するうえで有用な参照項となるだろう。とりわけ普遍的でありながら、同時にローカル(ナショナル)な科学を発展させねばならないというネルーが直面したジレンマは、たんに非西洋圏におけるかつての経験というだけでなく、現在の科学史研究自体が直面しているものでもある(科学史の科学が単数であるなら、そもそも非西洋圏の科学史が消失してしまうのではないか云々)。