初期近代のトレーディング・ゾーン Long, "Trading Zones in Early Modern Europe"

 トレーディング・ゾーンという概念は、科学史の分野ではピーター・ギャリソンによって用いられ、そのギャリソンはこの概念の着想を人類学者のマイケル・タウシグの研究から得ている。タウシグは、コロンビアのカウカ谷で、農民たちと地主たちが行っている賃金や地代の支払い、および物品の購入という取り引きに着目した。そこで農民たちと地主は問題なく取り引きを行っている。しかし地主の金銭感と農民の金銭感はじつはまったく異なっている。ギャリソンによれば、これは二つの集団が取り引きを互いに異なるかたちで理解しながら、それでもなお売買に成功している点で、トレーディング・ゾーンの一例である。ギャリソンはこの概念を、20世紀の微視的物理学で、実験物理学者と理論物理学者が、互いに異なった独立の集団を形成し、互いに独自の信念を抱きながら、いかに協働できているのかを記述するために用いた。

 著者はこのトレーディング・ゾーンという概念を、15世紀、16世紀のヨーロッパに適用する。そこで起きていた職人や実践家と、学識者のあいだの協働を記述するために用いるのである。15世紀、とりわけ16世紀より、これらの異なるバックグラウンドをもつ集団が交わるトレーディング・ゾーンが形成されてきた。そのようなゾーンは、遍在していたわけではない。それはヴェネツィアの兵器工場や、大規模な鉱山、さらにはローマで発見される古代遺跡の調査現場、そして宮廷に見いだされる。またそこで活動する職人はしばしば、伝統的なギルドの枠組みに回収されない者たちであった(たとえば建築家)。

 このようなゾーンは、工学や建築の教育が専門化される18世紀以降はなくなってしまう。もはや人文主義の教育を受けた人間が工学を学ぼうとは思わなくなるし、工学を修めた人間がラテン語で古代史を読もうとも思わなくなるのである。専門化がまだなされていない16世紀の半ばだからこそ、トレーディング・ゾーンは発展したのである。そこでは学識者が職人の知について知ろうとし、職人たちがラテン語で生みだされる知にアクセスしようとしていた。

 エドガー・ツィルゼルはかつて「科学革命」に高級職人がもたらした寄与を論じた。しかしツィルゼルは、職人文化を中世のスコラ学や人文主義の学識からは切り離している。まさにこれら彼が切り離した領域のあいだでの協働が起こったということを、トレーディング・ゾーンという概念で記述したいのである。職人が科学の発展に貢献したというのではなく、職人と学識者の協働が新科学と呼ばれる営みを生みだす発展の一部をなし、その発展をうながしていたと考えるのである。

 多くの場所でトレーディング・ゾーンは確認されている。たとえばロンドンの器具販売店であったり、大砲を製造する工場であったり、印刷所である。また都市の再開発や古代遺跡の調査の現場である。このような場所には大量の資本が投下されていた。そのような場所でのやりとりからは、学識文化の知とも職人文化の知とも分類しがたいハイブリッドな知のかたちが産出された。トレーディング・ゾーンのもうひとつの特徴は、そこでは読む、書く、絵を描くといった実践が重要な意味をもったということである。職人たちはラテン語の書物から学び、また実践に関する書物の多くは図像を含み、そこには職人たちが関与していた。さらにラテン語の世界と俗語の世界をつなぐ活動として翻訳活動の重要性が認知されるべきである。

 このようにどのような種類の職人たちと知識人たちが、どのような場所で、どのようなかたちでコミュニケーションしていたかを、描き出していく必要がある。