スピノザにおけるユダヤ人迫害の記憶 Israel, Spinoza, Life and Legacy

 

 

 第4章 "A Secret Legacy from Portugal" では、スピノザの祖先の歴史が、16世紀のイベリア半島の歴史とそこでのユダヤ人の状況と関係させられながら語られている。スピノザの母方の祖先(彼のバルーフという名は、母方の祖父から取られている)は、ポルトガルポルトという街からネーデルランドにやってきていた。父方の祖先もまた、ポルトガルのヴィディゲイラという街からネーデルラントにやってきていた。双方ともにポルトガルでのユダヤ人迫害から逃れる形での移住であった。私がまったく知らないことが多く書かれてあり、大いに勉強になった。たとえば、スピノザの(かなり離れているとはいえ)祖先に、Enrique Henríquezという人物がおり、この人物がイエズス会士としてコルドバサラマンカで教授職を務めながらも、元ユダヤ人でありしかも世俗権力に対する教皇権力の優越を十分に認めていないということから最終的にその書を燃やされることになったという話(90–92ページ)は興味深く読んだ。

 スピノザに関わるイスラエルの主張としては、まずスピノザの反王政と反カトリックの姿勢は、単に同時代のネーデルランドの政治状況だけからではなく、彼の家族が長年に渡りスペインの、とりわけフェリペ二世による支配に抵抗してきたという歴史からも来ているというものがある。スピノザがスペインによる支配を意識していた証拠としてイスラエルが挙げる(あるいは挙げているように解釈できる)のが、彼による『国家論』でのアントニオ・ペレスへの言及である。彼は次のように書いている。

実に(アントニオ・ペレスが適切にも言ったように)、絶対統治(imperium absolutum)を行うことは君主にとってはきわめて危険、臣民にとってはきわめて呪わしく、神および人間の掟に反するものである*1

 ペレスはフェリペ二世に仕え、より融和的な政策を実現しようとしたが失脚し、フェイペの絶対統治を批判する書を著した。彼の書をスピノザは所持していた。

 イスラエルが挙げるもう一つの根拠は、スピノザがJoão Pinto Delgadoという改宗ユダヤ人にして、最終的には 

 もう一つの主張は、フェリペ二世に対する抵抗の歴史から、スピノザが暴力的な反乱を評価しないことを学んだというものである。スピノザは『神学・政治論』で次のように述べている。

さて、オランダ連邦に目を向けてみよう。よく知られているように、この国は王というものを持ったことがなく、[過去の統治者としては]伯爵がいただけであり、この伯爵に支配権が委ねられたことは決してなかった。当のオランダ連邦自身、レスター伯爵の時代に述べられた声明文の中ではっきりこう言っている。それによると、連邦は伯爵の職務に対して警告を挟む権威をいつも保持しているという。さらに連邦は、この権威および市民たちの自由を[もし伯爵に取り上げられそうになったら]守ることができるし、もし伯爵たちが独裁者に身を落としたら離反することができるし、伯爵たちが連邦の容認や賛成なしに何かを行わないよう縛っておくことができる。そういう権力を連邦は持っているというのである。こうしたことから分かるように、[オランダでは]至高の主権はいつも連邦の側にあった。最後の伯爵だけがこの権利を横取りしようとしたのである。したがって、連邦がこの男に背いたと見るのは大間違いで、連邦はもうほとんど取り上げられそうになっていた、自らの元々の支配権を取り戻しただけなのだ*2

 イスラエルによると、ここでスピノザは暴力的な放棄を評価しない立場から、オランダでのフェリペ二世への抵抗は、彼から無理やり支配権を奪ったものではなく、むしろ元々持っていた支配権を保持しただけなのだと主張している*3

 このようなスピノザの暴力的な蜂起を評価しない姿勢は、フェリペ二世に対するポルトガルでの暴力を伴う抵抗が失敗に終わった歴史を踏まえているとイスラエルは言う。

 

メモ

 "Spinoza prizes Pérez too for demonstrating the uselessness of unplanned, spontaneous popular uprisings based on popular resentement and anger (p. 107)." この主張の典拠はどこにあるのだろうか。

*1:スピノザ『国家論』第7章14節、98ページ

*2:スピノザ『神学・政治論』第18章、吉田量彦訳、下巻、光文社古典新訳文庫、2014年、265–266ページ(段落訳は削除)。

*3:ただここでスピノザが主張しているのは、「[すでにいる]君主を取り除くのも、[今までいなかった君主を立てるのに]負けず劣らず危険だということである」(スピノザ『神学・政治論』第18章、吉田訳、 下巻、262ページ)という彼の主張を踏まえて、オランダの例は「[すでにいる]君主を取り除く」事例には当たらないということである。スピノザが問題にしていることは、イスラエルがいう暴力的な抵抗か非暴力的な抵抗かという論点とはずれているように思える