誰がモーセ五書を書いたか(8) Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible"

  • Noel Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible: The History of a Subversive Idea," in Malcolm, Aspects of Hobbes (Oxford: Oxford University Press, 2002), 383–431.

 Malcolmはここで新たな問いを立てる。ホッブズ、ラ・ペイレール、スピノザらの議論の材料は彼ら以前にすでにあったとして、ではどうしてモーセ五書全体の著者をエズラとする考えは17世紀半ばまで現れなかったのだろうか。マシウスの著作が出た1570年代以降はこのような考えはいつでも現れ得たはずなのに。

 Malcolmはまず、1582年に処刑された自由思想家であるノエル・ジュルネが、モーセ五書モーセが書いたのではないと主張していたことに着目する。彼の主張はトスタトゥスやマシウスから引き出しうるものであった。しかしジュルネのアプローチは、ホッブズ、ラ・ペイレール、スピノザとは違っていた。ジュルネは聖書を嘘の集成として描くことを目指していた。これに対してホッブズスピノザは聖書を人間の産物と見なし、歴史的な分析の対象とすることであった。この違いを考慮するなら、ホッブズスピノザの理解のためには、16世紀後半から17世紀前半にかけて聖書本文の全体的な性質について何が議論されていたかを知らなければならないことが分かる。

 Malcolmは、聖書に古典学における本文研究の方法を適用することは、16世紀後半のプロテスタントカトリックの教義論争によって広まったとする。プロテスタントが1525年にヴェネツィアで出版されたマソラ母音符号付きの本文を誤りのない神の言葉だと認めたのに対して、カトリックウルガタ訳により高い権威を認めた。ヒエロニムスが使用したヘブライ語版は、ユダヤ人によった改ざんを受ける前のヘブライ語本文であり、こちらのほうが優れているというのであった。このようなアプローチから、ヘブライ語聖書への本文批判的方法の適用が促進された。ペトルス・ガラティヌスやジルベール・ジェネブラールは、ラテン語版『エズラ記』を熱心に擁護して、エズラを聖書の復元者として認めた上で、エズラ以後に入り込んだ本文の改ざんをラビ文献を用いて取り除くべきだと主張した。このようなエズラの重視は、聖書の本文の確立にはエズラの権威や、彼が属していた大会堂の伝統が必要だったとすることで、現在の聖書の本文の確立にもやはりカトリックの権威と伝統が必要だという主張を強める効果もあった。

 Malcolmはカトリック側のもっとも標準的な見解はロベルト・ベラルミーノによって示されたとされる。ベラルミーノはエズラが聖書を書き直したという考えは否定した。エズラは写本を収集し、訂正しただけである。またベラルミーノはユダヤ人が聖書を組織的に改ざんしてきたという考えも否定した。しかし現在の本文には不注意や無知による誤りや、母音記号を付したラビたちの無知から来る誤りが入り込んでいることは認めた。ここからベラルミーノはウルガタ訳の優位性を支持しつつ、ヘブライ語の本文の不確実性から、本文の確定のためにはカトリックの権威が必要であると主張した。

 Malcolmはさらにカトリック側は17世紀の第二四半世紀のあいだに、マソラ本文に対する新たな攻撃の仕方を獲得したとする。それはレバントから入手されたばかりのサマリア人の五書に基づいていた。これは母音記号も単語も区切りもない文書で、それを理解するにはカトリック教会の導きが必要であると、オラトリオ会のジャン・モランは主張した。

 Malcolmは、これにともないプロテスタント側に分裂が生じたと論じる。ユグノーのルイ・カペルは、マソラ本文のヘブライ語本文が信頼出来ないと主張した。モランの研究にも基づきつつもカペルは、本文批判の方法を適用することで、子音のみのヘブライ語から信頼できる意味を抽出できると考えていた。カペルの主張な著作はプロテスタントの学者たちによってオランダとスイスでの出版を阻止されたものの、最終的にオラトリオ会のジャン・モラン、イエズス会のデニ・ペトー、そしてマラン・メルセンヌの助けを借りて、パリで出版された。

 Malcolmは、メルセンヌはこのヘブライ語聖書の本文の性質に関する論争を注意深くおっていたとする。メルセンヌは、ホッブズの1640年のパリでの知的生活における最重要人物であった。ホッブズはモランからカペルにいたる最新の動向をメルセンヌから聞いていた可能性は十分にある。

 Malcolmは、問題の根源は神的な権威を持つとされる文書と、その人間的な伝承という両側面をどう調和させるかという点にあったとする。カトリックの側は、本文が人間による伝承の過程で不完全になったと認めつつ、その不完全さは教会の権威ある解釈者によって補われると主張していた。教会の権威がなければ、聖書はイソップ寓話かリウィウスと同じくらいしか信頼出来ないと主張するカトリックさえいた。しかしそうだとすると、聖書もリウィウスと同じよう同じように読むべきではないかという方向性も示唆されることになった。

 Malcolmはプロテスタントの側では、聖書が信頼であるのは、それが教会から認められているからではなく、むしろ聖書がそれ自身としてその神聖性をあかしだてているからだと主張されていたとする。しかしこの主張は聖書全体の完全性を主張する以上、一度歴史的方法によって文書の一部が改変されていることが示されると、その主張が危機にひんしてしまうものであった。歴史的な方法によって、文書内部に原史料と編集史料の区別、あるいは霊感を受けて書かれた箇所と、純粋に歴史が語られた箇所の区別がつけられると、聖書全体が完全に均質的に神聖であるという考えは揺るがされることになった。むしろ聖書の一部は他の部分より人間的であるという考えが強められることになった。だからこそ頑迷なカルヴァン主義者のダヴィド・パレウスはモーセ五書モーセによって書かれたということを断固死守せねばならなかった。

 Malcolmはしかし、パレウスのようにモーセモーセ五書のはるか過去のことや、自分の死後のことを預言的に書いたとするよりも、モーセは過去のことを人間的な仕方で学んだ(伝統や目撃者から聞いて知った)とか、モーセ死後のことはモーセよりも後の人が書いたという、より人間的な説明が好まれ、むしろそのようにしてこそ文書の信頼性は強化されると考えられるようになったとする。こうして聖書は均質ではなく、異なる由来を持つ複数の要素を含む人間的な文書とみなされるようになっていった。フーゴー・グロティウスは、ヘブライ語聖書がすべて聖霊によって口述されたと考える必要はないとした。著者が自分の見たことを報告しているか、過去の記録を勤勉に学んでいると考えれば、文書として説明できる部分もあるというのである。

 Malcolmは、ここには神の啓示は聖書全体ではなく、むしろその一部だけに含まれると考えが示唆されているとする。Malcolmによれば、この考えを表明し、さらにそれを先まで推し進めたのがトマス・ホッブズであった。