- Richard H. Popkin, "Spinoza and Bible Scholarship," in Cambridge Companion to Spinoza, ed. Don Garrett (Cambridge: Cambridge University Press, 1995), 383–407.
Popkinは、モーセ五書の著者がモーセであることが深刻な問題となりはじめたのは、ホッブズの『リヴァイアサン』からであるとする。ホッブズは『リヴァイアサン』第3巻33章で、申命記にモーセの死の記述があることや、創世記などにモーセ以後の記述があることから、モーセ五書はモーセ以後に書かれたのだとする。ただしホッブズは、モーセがモーセ五書全体を書いたのではないにしても、彼が書いたとはっきり言われている箇所については、モーセが書いたと主張した。またホッブズは、今ある聖書が神の言葉であるということを保証するのは、(なにか超自然的な啓示でもない限りは)コモンウェルスであるとした。
続いてPopkinは、ラ・ペイレールについて論じる。ラ・ペイレールはその『アダム以前の人間』(1655年)で、モーセ五書が別の書物に言及していることに注目する。彼はここから、モーセはたとえば日記をつけていたかもしれず、またその他にもモーセ五書がつくられるにあたり依拠した書物があったかもしれないとする。現在私たちが手にしているモーセ五書はこのような原史料のコピーのコピーの集成である。ラ・ペイレールは、原史料が神の言葉であることは否定しないが、現在私たちが手にしている聖書の本文がその言葉を正確に伝えているものであるかどうかは疑問視する。またラ・ペイレールの主張のもう一つの柱は、アダム以前にも人間がいたということである。そうしないとカインの妻がどこから来たのか分からないという。ラ・ペイレールによれば、人間はアダムよりはるか以前よりいた。その人間たちの生活は汚く、獣のようで、短かった(この叙述はほぼホッブズと同じである)。神はこの状況を改善しようとしてアダムとユダヤ人をつくり、最終的にはユダヤ人のメシアがフランス王とともに世界を統べることで救済がもたらされると考えた。
Popkinは、最後にラ・ペイレールとスピノザの関係(の可能性)について論じる。ラ・ペイレールの書物をスピノザは所蔵しており、『神学・政治論』を執筆する際に活用していた。スピノザが学んだアムステルダムのユダヤ人共同体のラビであるメナセ・ベン・イスラエルはラ・ペイレールを個人的に知っていた。ラ・ペイレールは、『アダム以前の人間』が出版された1655年に6ヶ月アムステルダムに滞在していた。この時期はスピノザが、ユダヤ人共同体で教えられていた見解を疑問視するようになった時期である。ラ・ペイレールの見解のいくつかが、当時スピノザと交際があったJuan de PradoとDaniel Riberaへの批判のなかに含まれている。最後に、ラ・ペイレールの論敵は、彼がアムステルダムにアダム以前の人間一派を形成したと指摘している。このセクトに誰が含まれていたかは分からないものの、それにスピノザとその友人たちが含まれていた可能性はある。