- Richard H. Popkin, "Spinoza and Bible Scholarship," in Cambridge Companion to Spinoza, ed. Don Garrett (Cambridge: Cambridge University Press, 1995), 383–407.
最後にPopkinはスピノザの聖書に関する見解のどこに独自性があるかを特定する。スピノザはそれまでの聖書解釈者たちが主張していたことを繰り返していた。モーセ五書を書いたのがモーセでないということにしても、聖書が一度に書かれたのではなく、それぞれ独自の文脈で書かれた文書であるということにしてもである。
Popkinによれば、スピノザが独自性を発揮するのは、「聖書乃至預言者たちの精神を理解することと神の精神即ち真理そのものを理解することは全然別事に属する」(『神学・政治論』第12章、畠中訳下巻107ページ)と論じる時である。こうして聖書の解釈は、歴史研究となった。
Popkinは、そうはいってもスピノザも、クェーカーが主張していたように、成典を定めていた人たちは、神の言葉とは何かをあらかじめ知っていただろうとしている。しかしここでの神の言葉とは、「神の普遍的な法」に関係している限りの事柄にだけ当てはまる。それ以外の聖書の記述は純粋に歴史的なものであり、人間的な観点から理解されなければならない。このようにして神の言葉(神の与えた普遍的な法)と、歴史文書としての聖書を切り離すことで、スピノザは聖書という文書を、あくまでも人間の観点から説明されるべきものだとした。
Popkinによれば、このようにスピノザが完全に聖書を歴史的文書として世俗化できたのは、彼がこの世界にいかなる超自然的なものも認めない形而上学を持っていたからである。逆に、スピノザの歴史的な聖書解釈に、この形而上学が基づいているのではない。歴史的な聖書解釈は、この形而上学を強化しているだけである。この新しい形而上学こそが、スピノザが良くも悪くも現代的な心性の形成に対してなした偉大な貢献であるとPopkinは論考を締めくくっている。