納富信留 『哲学者の誕生―ソクラテスをめぐる人々』

 納富信留 『哲学者の誕生―ソクラテスをめぐる人々』 ちくま新書, 2005.

を買ってきました。まだ、ほとんど読んでいないのですが(だったら書くなよといわれそうですが)、これ、おもしろそうです。
 目に付いたところをいくつか引用しましょう。かっこ内はページ数で、強調はすべて引用した僕がつけたものです(賛同したり、賛同しなかったり、ビックリしたり…)。引用を読んで「お、これおもしろそうじゃん」と思ってもらえるとうれしいですね。

 逆説に聞こえるかもしれないが、ソクラテスが哲学者であったのではない。ソクラテスの死後、その生を「哲学者」として誕生させたのは、ソクラテスをめぐる人々であった。そして不在のソクラテスをめぐる言論が、プラトンらそれぞれを哲学の始まりへと誘(いざな)ったのである。(10)

西洋哲学の伝統は、ソクラテスと弟子プラトン、孫弟子アリストテレスの三人を巨人に奉り上げることで、彼らの以前や以後、同時代の多様で活気ある思索を隠蔽してきたのである。(46)

プラトンの対話篇では、著者プラトンがつねに不在であり、対話の導き手である「ソクラテス」もかならずしもプラトンの代弁者とは言えない。この特徴が、プラトンの対話篇の魅力の源をなしている。(98)

昭和に入ると、プラトンの本格的な哲学の光の下で、新たなソクラテス哲学像が誕生する。おそらくこういった大きな流れの中で、一つの新たな動向が登場したのである。今日でもソクラテス哲学の標語となっている「無知の知」という理解である。しかし、まさにこのソクラテス像こそ、西洋からの哲学受容の屈折を反映した、大いなる「誤解」に他ならない。
 (中略)この有名な標語は、驚くべきことに、ソクラテスの理解としては完全な誤りである。(265−266)

 「何も知らないことを、知っている」というキケロ式のソクラテス理解は、後三―四世紀の教父ラクタンティウスによって直接用いられ、ラテン中世に流れ込んだ。近代においてもソクラテスの不知はもっぱらこの定式で整理されてきた。その伝統の上に、今日の欧米のギリシア哲学研究でも、このような単純で誤解を生みやすいソクラテスの説明が時折見られる。(292)

 個人的に面白かったのは第6章の「日本に渡ったソクラテス」という章です。日本の西洋哲学受容の問題は、これから大いに研究されなければならないと思います。また93−97ページでは西洋の哲学史において対話形式で書かれた哲学書がまとめてあって便利です。
 278ページ以下では『カルミデス』(プラトンの作品)という対話篇の読解を通して、「無知の知」という考えをソクラテスに認めることが誤りであることを論証しようとしています。ギリシア哲学プロパーの人にはここなんかが面白いかもしれません(僕の友達にも日本の『カルミデス』第一人者がいますし)。