磔のロシア スターリンと芸術家たち
- 作者: 亀山郁夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/05/28
- メディア: 単行本
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この本を読み始めました。面白いです。スターリンに対してソ連の芸術家たちがどうやって向き合ったのかというのがテーマになっています。以下「はじめに」の最後の部分を引用します。
私自身、この「はじめに」に冒頭で、本書のもつテーマの現代的な意味をどこに見出したらよいか分からない、と書いたが、さらに一歩譲って、本書はたんに権力と芸術をめぐる一時代のケーススタディでしかない、と言いきってもよい。しかし、幸いにして、芸術家の残してくれた夥(おびただ)しい数のテクストがいま私たちの手元にある。私たちはそれらを自由に閲覧し、聴き、観ることができる。そしてその豊かさに目もくらむ思いを経験できる。翻って考えるなら、それらのテクストとは、じつは、独裁者が死後の生命を永らえるための霊廟のような存在でもある。なぜなら、芸術家の地と涙の結晶であるそれらのテクストに、独裁者は陰の共犯者ともいうべき役割でおのれの遺影を写しだしているからだ。芸術とともに生きのびる独裁者――、本書が大いなる独裁者とテロルの時代の文化を経験しなおす一つの手引書となれば、それはそれで意味ある仕事と呼ぶことができるだろう。
本書では順番に、ブルガーコフ、マンデリシターム、マヤコフスキー、ゴーリキー、ショスタコーヴィチ、エイゼンシテインといった芸術家たちが取り上げられ、彼らとスターリンとの関係に焦点が当てられています。
もちろん歴史上独裁者というのはたくさんいるので、独裁者の下で書かれた文学作品というのもたくさんあります。とはいえ、やはりスターリン統治下で芸術家たちが取った態度は稀有なものだったのかもしれません。というか、独裁化での文学の極限形態を見るという感じです。
独裁者がいて、それを賛美する芸術家がいる。あるいは賛美するふりをして批判のメッセージを作品にひそかに込めるものがいる。一方である者は不屈の精神で抵抗し、結果として死を選び取る。
こんなふうに個々の芸術家たちの内面を腑分けして整理することなどはできない状況がスターリンの統治下では出現していたようです。このような状況を著者は芸術家たちが「独裁者と一体化しはじめた」と表現しています。これが何を意味するかは本書を手に取ってもらえば分かると思います。一つだけ印象的なセリフを。ある芸術家の言葉です。
書記長〔スターリン〕に対して唯一可能なのは、真実のみである、しかもシリアスな。
アマゾンの書評にもあるようにあまり文章はよくありません。というより、上で述べたようなねじれきった関係を描き出そうとするので、必然的にこういう書き方になるのだと思います。
ただそれ以外にそもそも日本語として意味が通じないところもあります。これは校正の不備ということでしょうかね。
でも面白いです。こういうのを読むと文学研究といっても退屈なものばかりではないのだなぁと思います。