謎と暗号で読み解く ダンテ『神曲』 (角川oneテーマ21)
- 作者: 村松真理子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/11/28
- メディア: Kindle版
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- 村松真理子『謎と暗号で読み解く ダンテ『神曲』』角川oneテーマ21、2013年。
高校時代のあるとき、あるいは大学にはいったばかりのころくらいに、ちょっと背伸びをして名著とされている文学作品を読みあさったという人は多いのではないだろうか。そのときの候補にダンテ『神曲』が入ることもままあるだろう。そこで家の本棚に押しこめられていたり、本屋の目につくところにある『神曲』の翻訳を手にとる。おうおうにして岩波文庫の山川訳だ。さっそくページを繰ってみると…なんだこれ?となったと思う。面白くないとかいう以前に理解できない。いきなり主人公は森にいる。森で迷っている。正真正銘なんの前置きもない。なぜ森なのか。なぜ迷っているのか。そもそもこいつは誰なのか。そうこうするうち獣が3頭ほどでてきて前に進めない。そこにあやしい詩人が出てきて…このあたりで投げだすのではないだろうか。ええ、私がそうでしたとも。
このような挫折を通して人は学ぶ。『神曲』は予備知識なしで読んで楽しめるものではない。それを理解する喜びをえるためには、最低限知っておかねばならないことがある。詩人ダンテについて、詩人がいきた時代について、彼が踏まえている古典古代の文学の伝統について、彼がそのうちにいるキリスト教世界の成り立ちについて、そしてベアトリーチェとはなんぞ?これらのことを知らないでいては、日本語訳ですら詩を読み進めることは容易ではない。
村松真理子『謎と暗号で読み解く ダンテ『神曲』』はおそらくは日本中で毎年くり返されているささやかな『神曲』挫折体験に終止符を打つかもしれない。それは言いすぎにしても、『神曲』の意味不明さにショックを受けた人が、その次に手をのばす本が手軽に購入できる価格で現れた意義はおおきい。タイトルにある「謎と暗号」という文言から学術的観点からは信用できない解釈を盛った本と思われるかもしれない。しかし中身はいたってまっとうな『神曲』入門となっている。先に書いた『神曲』をめぐる基礎知識はほぼこの本で網羅できる。
全体は6つの章にわかれている。最初の2章では『神曲』の有名な出だし(「我等の人生の歩みの半ば、気がつけば私は暗き森に迷っていた」)を入り口に、ダンテの生涯、当時のイタリア文学の状況、キリスト教世界に起きていた変化(とくに煉獄の誕生)、そして『神曲』の基本的な構成が語られる。本書の中核をなす第3章から第5章では『神曲』の3つの篇である地獄篇、煉獄篇、天国篇の紹介が行われる。最後の第6章ではダンテがイタリア語で書いた意義が論じられる。
『神曲』は14233行にも及ぶ巨大な構築物であり、小さな書物でその全貌を紹介することはできない。そこで著者は詩の構造とあらすじとその全体のメッセージを伝えながら、いくつかの印象的なシーンを引用し、それに解説を加えているく。引用には著者自身の手になる『神曲』の日本語訳が用いられている。これがすばらしい。日本語としての読みやすさと、詩の翻訳が備えていなければならないフレーズごとの強度が両立している。オデュッセウスとウゴリーノの挿話の解説に添えられた翻訳はぜひ味読してほしい。オデュッセウスの箇所は「世界を知り尽くす者になりたいという熱情」からくる罪を扱った有名な箇所であり、科学思想史領域に傾斜した本ブログの読者の心を特に打つのではないかと思う。「君たちの起源を考えよ。君たちは、獣のように生きるためではなく、徳と知性を追い求めるべく、造られたのだから」。
訳文だけが文学研究者としての著者の強みをあらわしているのではない。本書の特徴の一つに、『神曲』に関係する多くの文学作品が引かれていることがある。ボッカチオがあらわれるのは当然であるにしても、チョーサーや漱石、大江健三郎が引かれ『神曲』が時空間にひろくまたがる衝撃をあたえた作品であることを見せつけてくれる。もちろん強制収容所での『神曲』体験を語るプリモ・レーヴィの挿話も逃しはしない。比較文学研究にもたずさわる著者が本書を書いた意義を感じさせる。
文学研究者としての強みは著者の文体にもあらわれている。言語化するのはむつかしいものの、入門書としての平易な表現を心がけながらも、単なる解説ではないと思わせる文体を本書は備えているのだ。その他に言葉に責任を持つ研究者ならではのユニークな表現としては地獄の構造を解説した次のようなものがある。
空間としては、まるで巨大なアイスクリームコーンの内側を、ギザギザにつけてある段々を通って、一番下のコーンの底にまで降りていくようなイメージだと言えば、想像しやすいだろうか。
とても想像しやすい。
かすかな不満を哲学思想を記述したわずかな箇所におぼえる。デモクリトスがデモクレイトスになっているのは単なる誤植であるにしても、グイド・カヴァルカンティについての次の記述はどうだろうか。「彼は『エピキュロス派』、つまり、当時異端とされるようなアヴェロエス主義の主知論的な哲学に共感していたとされていたらしい」。「アヴェロエス主義の主知論的な哲学」とはなんだろうか。少なくとも教科書的な主知主義(intellectualism)の理解ではこのフレーズは理解できない。あえてこの言葉を使っているならもうすこし踏みこんだ説明がほしいところだ。
最後にこれが日本語で読める最良の『神曲』入門書だ、と宣言できればこの記事もしまったものになるだろう。しかし日本のダンテ学を私はほとんど知らないのでそのようなことはとても言えない。ただ自分の高校時代にこの本があれば暗き森に迷うこともなかったのに…などといまさらいっても仕方のないつぶやきを最後に書きつけるだけである。