対話テクストとしての異端審問記録

歴史を逆なでに読む

歴史を逆なでに読む

  • カルロ・ギンズブルグ「人類学者としての異端審問官」『歴史を逆なでに読む』上村忠訳、みすず書房、2003年、130–148ページ。

 異端審問の記録の価値が認知されるにいたった背景には、公式資料では不適切にしか表出されない集団(女性、農民)への関心の高まりと、人類学が歴史研究に及ぼす影響の拡大がありました。実際、異端審問官が被告への尋問や証人からの聞き取りをもとに記録するテクストと、人類学者が情報提供者からの聞き取りをもとに記録するテクストは、両者とも対話的性質を持つという共通点を持っています。しかしもちろん人類学者と違って、歴史家は新たな資料を生産することができません。しかも審問の記録に残された農民たちの告白は、審問官たちの問いを復唱するばかりで、彼らの信仰の信頼できる像とは到底みなしえません。

 しかしそれでも異端審問の記録には価値がある。人類学と同じく本質的に対話的な性格を持つその記録では、時として審問官と農民のあいだに意思疎通上の齟齬が生じ、それにより双方から対立する声が聞こえてくることがある。もちろん、手にしている記録は「客観的」ではなく、尋問という特殊で不平等な関係に基づいたものです。「それらを解読するためには、テクストの滑らかな表層の背後に脅迫と恐怖、攻撃と撤退の精妙な駆け引きをつかみとる術を習得しなければならない。これらの対話の編み物を構成している多彩な糸を解きほぐす術を習得しなければならないのである」(139ページ)。のみならず、歴史家は審問官が農民たちの発言を理解可能な形に解釈した箇所からも、その解釈によりこれまで関連付けられていなかった歴史的事象のあいだの関連性が明るみに出されることがあります。

メモ

もう少し一般的な言い方をするならば、ある現象があって、それがたいていは断片的な仕方でしか記録されていない場合、その現象がどの程度に普及しているかということをもってそれの歴史的な重要度の目安とすることはできない、ということが力説されなければならない。たいていはごく限定された信仰中核と結びついた、少数の文書であっても、それらを丹念に読むほうが、膨大な量の反復的文書を読むよりもはるかに啓発されるところが大きいのである。(147ページ)