久間防衛相の発言の趣旨は「原爆投下がしょうがない」ということなのだろうか

 久間章生防衛相は発言を撤回しました。とはいえ彼は本当に原爆の投下がしょうがないと述べたのでしょうか。

 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。

 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。

 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY200706300263.html

 発言の論理構成は以下のようになります。

  • アメリカは日本がいずれ降伏すると分かっていた。しかしソ連参戦前に日本を降伏に追い込むために原爆を投下した。
  • 原爆の投下のために日本の降伏ははやまった。そのためソ連が北海道に侵攻する以前に戦争が終結した。結果的に日本はドイツのように分断されずにすんだ。
  • したがって以下のように整理で「しょうがない」。
  • すなわち、たしかに原爆投下の結果、無数の被害者が出た。しかし事実として原爆の投下のために日本の降伏ははやまり、そのため北海道の占領は起こらなかった。

 すくなくともこの新聞記事の要約から判断する限り、防衛大臣が述べたことは原爆の投下が仕方なかったということではありません。彼が「しょうがない」と考えているのは、原爆投下の結果日本の降伏が早まり、そのためソ連による北海道の占領が防がれたという整理のことです。

 そのため最初に釈明を行ったときの発言が次のようになります。

当時の日本政府の判断が甘く、終戦が遅れるとソ連に占領されていた可能性があったことを指摘しただけだ。原爆を肯定したわけではない。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070630it12.htm

 以上のことを考えるならば、この発言への反論は上記の整理への反論でなければなりません。たとえば論理的には次のようなものが考えられます(事実関係は度外視して反論を想定しています)。

  • アメリカが原爆を投下した理由はソ連の参戦前に日本を降伏させることではなかった。
  • 原爆の投下は日本の降伏をはやめなかった。原爆を投下せずとも日本は8月15日に降伏した。
  • 原爆を投下せずとも、少なくともソ連が北海道に侵攻する以前には日本は降伏していたはずだ。
  • そもそもソ連は北海道に侵攻する準備はなかった。
  • たとえソ連によって北海道が占領された後に日本が降伏したとしても、その後日本が分断されることはなかった。

 いずれにせよ久間氏は原爆の投下が人道的に問題がなかったと論じているわけではありません。原爆の投下により日本の降伏が早まり、結果的に日本の分断が避けられたという主張と、原爆の投下を人道的に認めず核兵器の廃絶に取り組むという主張とは両立しうると思います。

 というわけで私の考えは、上記発言要旨から次のような判断を導くことに否定的です。

 米国が広島、長崎に原爆を投下したことによって終戦を早め、ソ連の日本占領を阻止し、より多くの犠牲者を出さずに済んだという認識に基づくものである。「しょうがない」には、状況によっては原爆使用も容認できるという意味が含まれる。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 社説 - 久間防衛相 何と軽率で不見識な発言か