年金問題:中央第三者委員会の設置は法治国家の原則と一致しない

 年金の給付の可否を決定する第三者委員会の初会合が開かれました。私はこの第三者委員会の設置に反対です。というのも、このような委員会の設置を法改正抜きに行うことは、法治国家では許されないと考えるからです。

 にもかかわらず、5月26日付けの社説には、第三者委員会が法的に抱える問題点について指摘したものはありません。そこで、この委員会の設置が法的に問題含みであると私が考える理由を書きます。

 ただ、私は法律の専門家ではありません。したがって、以下の記述には事実誤認以外にも、法解釈として誤りが含まれている可能性があります。その点ご注意ください。

毎日、産経の社説

 とりあえず今日の社説から。

 公正で透明な運営は年金制度への信頼をつなぎとめる最後の命綱である。第三者委には、正直者が不利益をこうむらないような判定基準を示してもらいたい。同時に運用にも弱者の立場に立った細心の配慮を求めたい。

 社会保険庁は年金確認委の判断をそのまま受け入れる方針なので、確認委は事実上の最終決定機関となる。それゆえ、確認委の責任は重い。給付を受ける国民が納得できる公正で的確な審査基準を策定しなければならない。

 あまりに内容がなくて、感動的ですらあります。ブログの記事じゃないんだから、関連する法案くらいは見てから書けよ。

問題の発端

 第三者委員会という制度はどうしてできたのでしょうか。そこで参考になるのは、産経新聞に掲載された次のような記事です。

 だが、年金納付の証明がないケースにどう対処するかは難問だった。申告通り認めれば、年金の不正受給を招くし、逆に証明書の添付を義務付けると救済にならない。
 議論が行き詰りかけたとき、妙案を思いついたのは塩崎氏だった。
 「認定のための第三者委員会を作ろう
 さらに、首相が「第三者委員会を厚労省が所管するというのは絶対ダメだ」と譲らず、市町村に「行政相談窓口」を持つ総務省が所管することになった*1

 この記事を信じるならば、第三者委員会は官房長官思いつきから生まれたことになります。まあ、思いつくのはいいのです。しかし、この思いつきが実現してしまうから恐ろしい。なぜ恐ろしいと私は考えるのか。
 

社会保険審査会

 第三者委員会について一番不明瞭で問題があるのは、現在の社会保険審査会制度との関係です。

 現在、年金の支給などついての不服申し立ては、各地の社会保険審査会に行うことになっています。この点を厚生年金保険法は次のように定めています。

第90条 被保険者の資格、標準報酬又は保険給付に関する処分に不服がある者は社会保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服がある者は、社会保険審査会に対して再審査請求をすることができる。

 行政処分に不服がある場合、まず社会保険審査会に審査を請求を求めます。下された裁定にさらに不服がある場合は、再審査請求をすることができます。

 この規定が重要なのは、社会保険審査会の裁決を経ないと、行政処分の取り消しを求める訴訟を行うことができないからです。

不服申立てと訴訟との関係)
第91条の3 第90条第1項又は第91条に規定する処分の取消しの訴えは、当該処分についての再審査請求又は審査請求に対する社会保険審査会の裁決を経た後でなければ、提起することができない

 行政処分が不服であっても、いきなり処分の取り消しを求めて裁判所に行くことはできません。訴えるためにはまず社会保険審査会の裁決を経なければならないのです。

 これはすなわち、社会保険審査会の裁決を覆そうと思えば、裁判所の決定がなければならないということです。つまり、社会保険審査会は、年金の支給等の問題に関しては、司法を除けば最高決定機関ということになります。

 このような重要な役割にかんがみて、社会保険審査会には、法律によって高い独立性が保証され、かつ責任の所在が明確にされています。

 まず独立性について。社会保険審査官及び社会保険審査会法には、次のように規定しています。

(職権の行使)
第20条 審査会の委員長及び委員は、独立してその職権を行う

 この条文が意味するところは、政府が社会保険審査会の判断や判断基準の変更を命じることができないということです。したがって、社会保険審査会の決定に背いて、たとえば社会保険庁が年金を支給した場合、それは国庫金の不正支出になります。社会保険審査会の決定を覆すことができるのは、裁判所だけです。

 また、社会保険審査会は責任の所在も法によって明確に定められています。再び社会保険審査官及び社会保険審査会法。

(委員長及び委員の任命)
第22条 委員長及び委員は、人格が高潔であつて、社会保障に関する識見を有し、かつ、法律又は社会保険に関する学識経験を有する者のうちから、両議院の同意を得て、厚生労働大臣が任命する。

 社会保険審査会は国会承認の委員人事が行われ、その委員の責任で判断が行われるわけです。その委員は高い専門性を備えていることが要求されます。

 まとめ。日本にはすでに社会保険審査会という機関があります。その機関は法によって独立性、責任の所在、専門性が明確に規定されています。この社会保険審査会が、年金の支給という国庫支出の最終判断を行います。この審査会の裁定に不服がある場合は裁判に訴えるしかありません。

三者委員会

 それに対して、第三者委員会です。この三者委員会には法的根拠がありません。根拠となっているのは閣議決定された政令のみです。社会保険審査官及び社会保険審査会法や厚生年金保険法に根拠条文がある社会保険審査会とは違います。

 問題になるのは、この第三者委員会と、社会保険審査会に認められた独立性の関係です。三者委員会が、社会保険審査会と異なった決定を下した場合どうなるのでしょう。

 たとえば、社会保険審査会が年金を支給しないという裁定を下し、社会保険庁長官が裁定にしたがって支給を見合わせているケースがあるとします。このとき、第三者委員会が独自の審査基準によって支給を認めた場合、社会保険庁長官は第三者委員会の決定にしたがって年金を支給するのでしょうか。第三者委員会の決定が、社会保険審査会の決定に優先するというのでしょうか。

 しかし、その場合、社会保険審査会の独立性を保障した法律条文上の規定とどう整合性をつけるのでしょう。上で見たように、第三者委員の委員は独立して職権を行使することになっています。これは政府が判断や判断基準の変更を命令することができないということです。

 にもかかわらず政令で定められた第三者委員会が、社会保険審査会の決定を覆すということになれば、これは政府側から判断の変更を命令していることになります。社会保険審査会の独立性を定めた社会保険審査官及び社会保険審査会法20条の規定に反します。法的に国庫金の支出の最終決定機関とされている社会保険審査会の決定に反して、社会保険庁長官が年金を支給した場合、国庫金の不正支出になるのではないでしょうか。もはや、法律などどうでもいいということでしょうか。

 また、第三者委員会というのは、その責任の所在も不明です。設置が決定されたのは政令であり、国会の審議も経ていません。加えて委員人事の国会承認もありません。

 法的根拠も国会承認もない。にもかかわらず判断基準を独立で定めようというのでしょうか。その場合、責任の所在はどこにあるのでしょう。このような機関に国庫金支出の最終決定機関の役割が与えられるとはこれいかに。

法律に対する鈍感さ

 このように、第三者委員会とは法的根拠が不明で、従来の制度との整合性もなく、しかも責任の所在も不明な代物です。法治国家が運営する機関だとは思えません。

 もし新たな委員会を設けるならば、厚生年金保険法など関連する法案の改正を行わなければなりません。その上で、新しい委員会と既存の制度との整合性をつける必要があります。また新たな委員会の権限、人事、判断基準、責任の所在について、確かな法的根拠を与えなくてはなりません。秋の特別国会で行うべきでしょう。

 それなのに、冒頭に挙げた新聞の社説は「第三者委には、正直者が不利益をこうむらないような判定基準を示してもらいたい」とか、「それゆえ、確認委の責任は重い。給付を受ける国民が納得できる公正で的確な審査基準を策定しなければならない」とか書くばかりです。いや、責任は重いって、その責任の所在を定める法律がないのです。判定基準にしても、法的根拠がなく国会承認もなく人事も独立の機関に、勝手に判定基準を示せというのでしょうか。

 官邸も同じくらい機能不全に陥っています

 議論が行き詰りかけたとき、妙案を思いついたのは塩崎氏だった。
 「認定のための第三者委員会を作ろう」

 こういう発言が出てくるということは、塩崎氏は年金の運用についてほとんど何も知らないということです。いや、知らないのはいいのです。普通は知らないので。しかしそれならば、運用の現状とその現状を支える法体系について、専門のスタッフの意見に耳を傾ける必要があります。

 塩崎氏は「救済策は政府主導で作る!」と厚労省社会保険庁の担当者に叫んだそうです*2。しかし、その政府主導の結果がこのわけの分からない委員会です。

 結局のところ官邸にしろ毎日新聞産経新聞にしろ、法律というものに対して鈍感すぎるのではないでしょうか。法治国家なのですから、従来の制度と整合性の取れない制度を運用しようと思えば、法改正をする必要があります。法改正もせず、責任の所在も明らかでない組織を政府が政令で次々つくって行政を行うなら、それは法治国家ではありません。

 官邸も社説も何をするべきかということについては問題意識を持っているように思えます。しかし、そのなすべきことを実現するための手段としての法律に関する感覚が鈍すぎます。こう考えると、安倍首相がいつも強調している法の支配という基本的価値観についても、果たしてまじめに考えているのか疑問とせざるをえません。

 第三者委員会の設置に、私が反対する理由は以上です。

*1:産経新聞、2007年6月16日、「年金攻防 下」より抜粋。

*2:産経新聞、前掲記事より抜粋。