スカイプ復旧、ケプラー、プラウトゥス

 どうも復旧した模様です(4時現在)。→ってまた切れた。でも安定状態には向かいつつあるようです。→朝には完全に復旧していました。

 今日は学部時代の友人たちと会ってきました。とりあえず霞ヶ関というのが狭い狭い世界だということは分かりました。私にはあんまり関係ない世界ですけど。

 というわけで何もしていないのですけど、とりあえず電車の中で「ヨーロッパ精神史におけるケプラーの位置」というカッシーラーの論文を読みました。『シンボルとスキエンティア』に収録されています。

シンボルとスキエンティア―近代ヨーロッパの科学と哲学

シンボルとスキエンティア―近代ヨーロッパの科学と哲学

 興味深かったのはケプラーからの次のような引用。

 私も象徴と戯れるが、〔中略〕しかし戯れに関わっていることをけっして忘れないように戯れている。なぜなら象徴によってはなにひとつ証明できないからである。実際それが単なる比喩や類比であるのではなく、明白な因果関係、真の因果的結合をともなっていることが確かな根拠によって証明されなくてはならない(125頁)。

 残念ながらカッシーラーはこの一節がどこからの引用かを明示してくれていません。書簡からの引用だとは書かれていますけど。

 あと電車の中でもう一つ、こっちは専門とは関係のないローマの喜劇を読みました。プラウトゥスの『カシナ』です。

ローマ喜劇集 (2) (西洋古典叢書)

ローマ喜劇集 (2) (西洋古典叢書)

 花嫁に変装した男をそれと気づかずに花婿は寝床に連れて行ってしまった。あわてて飛び出してきた花婿が回想して…

 滅茶苦茶でっかいんだ。おれはあいつが刀を隠していないか怖くなって、探しはじめたんだ。刀をもっていないか探っていると、柄に触った。だがよく考えると、あいつが刀を持っていないことはよく分かる。刀なら冷たいはずだ。

〔触ったのは大根だったのか、それともキュウリだったのかと聞かれて〕

 野菜なんてものじゃない。とにかく、それがなんであれ、天災なんか受けずにぐんぐん大きく成長したものだ。

 なんというくだらなさ。プラウトゥスが教科書としては使われなかった理由がよく分かります。あとこの周辺部分は写本に欠落が多いのです。これはやはり後世の検閲がはたらいたのでしょうか。