天から神へ至る道 Almási, "Rethinking Sixteenth-Century ‘Lutheran Astronomy’"
- Gábor Almási, "Rethinking Sixteenth-Century ‘Lutheran Astronomy’," Intellectual History Review 24 (2014): 5-20
16世紀の天文学の発展に大きく寄与したのは、ルター派の学者たちであった。このことの説明として、ルター派の人々が天の探求を通して神を知るというメランヒトンが強調した使命を共有していた事実がしばしばあげられる。これにたいして著者はまずそのような主張はルター派に限らず、宗派を超えて広く見られることを指摘する。そのような主張がなされた動機のひとつは、決定論につながると考えられがちな天文学・占星術を研究することの正当性を確保するためであった。また不安定であった天文学者・占星術師の地位を安定させるために、彼らが携わる営みの価値を称揚するためであった。ルター派の内部では、ルターの言明から学問全般の価値を疑いえたがゆえに、学問研究全体を擁護するためにも、天の研究が神に通じると主張することが必要とされた。さらにそのような主張をした者が置かれた個々の文脈を考慮に入れねばならない。たとえばティコの場合、占星術が導きうる決定論を憂慮する神学者に向けた演説のうちで、天の研究から神へというロジックが用いられている。ケプラーはそのようなロジックがルター派のものであるというより、むしろ宗派を超えた妥当性を有するがゆえに用いていた。このように天を通じて神を知ることができるという主張はルター派を超えて広く共有されていた。したがってその主張の存在がルター派知識人が天文学の発展に貢献することを可能にしたと主張することはできない。むしろそのような主張が用いられた動機を多様な知的コンテキストのうちで探らねばならない。
天を通じての神の認識という議論が宗派を超えて現れるのは著者が言うとおりである。その議論の背後に天文学・占星術という学問分野に向けられていた疑惑や、占星術師・天文学者の地位を見てとるのも正しい。とりわけ啓発的なのは、天から神へ通じる議論が宗派を超えて機能しうるからこそ利用されていたという論点である。宗派を超えるどころか、非キリスト教徒である日本人に布教する際にもこのような議論が有効だと認知されていたことは海老澤有道や平岡隆二の研究が明らかにしている。それらの研究と本研究を接合して、天から神に至る議論が初期近代世界において有していた意義をより広く探ることができるだろう。
これにたいして著者が天から神へという議論がルター派による天文学研究の進展に寄与した可能性を否定しようとする(ないしはきわめて小さく見積もろうとする)のは納得がいかない。メランヒトンの影響により、とりわけルター派の論者にその種の議論が広く見られるということを著者が認識しているのだからなおさらである。もちろん、ルター派による天文学の発展の原因をそれだけに限定するのは許されないだろう。だがそのような単純な議論をする者がいるとは思えない。しかも…と続けたいものの、以下は同僚とこの論文について話したさいに教えてもらったことになるので、ここに記すことはしない。
論考の核となる主張よりも、各部分での文言の引用や、それらの文言の背後にある動機の分析から学ぶべき論文である。