id:Freitagさんの著作の中のカルダーノの章は、『微細さについて』の第7巻までを扱っています。『微細さについて』は全21巻から成る著作なので、後半部分が扱われていないことになります。
この後半部の省略についてはずっとなぜだろうと思っていて、今日になってようやく『微細さについて』の第8巻以降を調べました。その結果として分かったのが、後半部ではほとんど種子については扱われていないということでした。いや、実はFreitagさんが扱っている前半部でもほとんど種子についての議論はないのですけど、後半部はそれに輪をかけて何もない感じです。だから取り扱われていないのかも。
まだすべて見たわけではないのですけど、今のところ後半部で唯一意味がありそうなのは、自然発生を扱った箇所に現れる以下の文章です。
したがって種子からの発生と腐敗した質料からの発生とは次の点で異なっている。
すなわち、種子の中には質料がある。この質料が自らに似た熱を常に受け取り、その熱から種子が生まれる。
別の[自然発生する生き物]の中にはある種の熱は確かにある。しかし質料がたまたまあちらにあったりこちらにあったりする。結果としてそのような[生き物]の発生は偶然のものになる。そのため、そのような[生き物]の大半は非常に小さいか、不完全である。ある種のものが小さいのは、発生に適した質料が偶然のせいで少量しか集められなかったからである。一方、不完全であるのは、その発生が落ち着いた環境で行われず[意訳]、そのため短いあいだに[生き物が]完成させられたからである。
Hoc igitur differunt, generationes ex semine, et putri materia, quia in semine est materia, quae calorem excipit semper similem ei, ex quo semen generatur: in aliis calor quidam est, sed materiam contingit hic vel illic esse, ut sit generatio talium fortuita: ob id ergo pleraque horum pusilla sunt, et imperfecta: pusilla quidem quia parum materiae adest generationi aptae cum fortuito collecta sit, imperfecta autem, quia parvam habet quietem talis generatio, et ob id brevi perficitur.*1
ここでカルダーノが論じていることは、Freitagさんによる「[カルダーノにとって]種子自体は事物の物質的根源 germe matériel に過ぎない」という結論と一致します。となると『微細さについて』の後半部を考慮に入れたとしても、『ルネサンスの物質理論におけるえ種子の概念』の結論は動かなさそうです。