混交研究その2

 今日は以下の三つの史料を調べました.

  • ザバレラ『混交について』 Jacob Zabarella, Liber de mistione, in De rebus naturalibus (Frankfurt, 1607; repr. Frankfurt: Minerva, 1966), 451-480.
  • シュペリング『自然学演習』 Johann Sperling, Exercitationes physicae (Wittenberg, 1663), 561-569.

 どれもそれぞれの著者が混交の問題を扱っている箇所に当たります.それぞれについていろいろと学ぶところがありました.

 ザバレラの作品の前半部は,混交についての当時の議論の状況がよく分かるまとめになっています.彼は順番にアヴィセンナアヴェロエススコトゥス,アクィナス(等)の学説を解説していきます.

 勉強になったのはアヴェロエスの個所とスコトゥスの個所でした.スカリゲルのアヴェロエス批判は,そこだけ読んでも分からないくらい圧縮された書き方になっていたので,今回ザバレラによる解説を読んではじめてスカリゲルの反論の意味が分かりました.

 またスコトゥスについては,なぜかスカリゲルの与える説明とザバレラの与える説明が食い違っています.スカリゲルによれば,スコトゥスは混交物中で元素の形相が保存されると考えました.対してザバレラによれば,混交物中で元素の形相は破壊されるというのがスコトゥスの意見となります.ちなみにエマートンはザバレラにしたがった解釈を『形相の科学的再解釈』の中で与えています.

 バッソとシュペリングの著作は,スカリゲルの受容という観点からは特に重要なものであることが分かりました.というのも彼らは共に,スカリゲルの混交理論を原子論を裏付けるものと解釈しているからです.バッソによれば,スカリゲルの混交論は元素の混交物中での存続を想定している点で,アリストテレスの哲学と反していることを主張し,原子論に接近している.一方シュペリングによれば,スカリゲルは混交物が最小の物質の合一運動からなると考え,混交物中での元素の存続を主張した点で正しい.しかしスカリゲルはこの混交物を構成する最小物質がエピクロスデモクリトスの原子ではないと考えた点で誤っている.

 ここで興味深いのは,両者とスカリゲルの混交理論を原子論に引きつけて解釈した結果,スカリゲルが本当に主張していたことを無視している点です.というのも,スカリゲルは迷いながらではあるものの,混交物中では元の元素の形相は保存されないと考えていたからです.なぜなら,元の形相の存続を認めてしまうことは,一つの物体に複数の形相を認めることにつながり,これは彼の神学的形相論にとって受け入れがたい結論となるからです.

 スカリゲルの真意とは違う形で彼を原子論的に解釈するということは,近年ではリュティーやニューマンによって引き継がれています.彼らもまた,スカリゲルの混交理論は混交物中での元素の形相の存続を認める点で,17世紀に発展させられる原子論の先駆けとなったと主張しています.

 ではバッソやシュペリングと同じスカリゲル解釈を,ゼンネルトは行っているのでしょうか.私は(ニューマンにしたがって)行っているとこれまで考えていたのですが,van Melsenの研究によると,ゼンネルトはバッソやシュペリングよりも正確に問題を把握していたようです.なぜなら彼はスカリゲルが混交物中での形相の存続について迷っていたと書いているからです.

 最終的にゼンネルトは,原子がもつ形相は神によって創造されたものである以上,決して破壊されることはないという結論に到達します.もしこれを裏付けるために彼がスカリゲルを用いているのならば,彼は最終的にスカリゲルを原子論的に解釈するという方向に進んだことになります.この点を確認するのが次の作業になります.

 とりあえず分かったことはスカリゲルの混交理論は,後の時代の原子論者によってバイアスのかかった形で読まれたということです.まさにスカリゲル自身がアリストテレスを,あるいはリプシウスがセネカをバイアスのかかった形で解釈したのと同じように.