Weisheipl, 「中世の自然学における天の動者」

  • James A. Weisheipl, “The Celestial Movers in Medieval Physics,” Thomist 24 (1961): 286–326.

 アルベルトゥス・マグヌス、ロバート・キルウォードビ、トマス・アクィナスという三人のドミニコ会士がいかに天体の運行を説明したかを解説した論文です。

 まずアルベルトゥス。彼はまず天体の運行が自然運動であることを否定します。自然運動は目的の場所に到達したら終了するのに対して、天の運動は終わりのない回転運動だからです。したがってそれは「自然からではなく霊魂から」ということになります。しかし霊魂だけでは天体の運動は説明できません。なぜなら霊魂は天体とともに移動するため、「動かされながら動かすもの」となるからです。アリストテレス哲学にしたがえば、運動の究極の原因は不動の動者でなくてはなりません。そのため天体とは離れて、霊魂を動かすところの不動の動者――すなわち知性が必要となります。

 ここまで天の霊魂という言葉を使ってきたものの、実はこれはアルベルトゥスの見解を説明するに十分はありません。確かに彼は時に霊魂という言葉を用いるものの、多くの場合は「知性の光」のような表現を用いています。なぜ彼が霊魂という言葉づかいを避けたかというと天体には器官もなく、それがために感覚を持つこともないにもかかわらず、その天体の第一の現実態として霊魂を想定するのは不合理であるとされるからです。もうひとつ重要なのは彼がこの知性の光を天使と同一視することを拒否することです。彼によれば天体の直接の動者であることは聖書に現れる天使の描写と一致することもなく、また自然哲学の分野で天使に関する知見が得られることもないということになります。

 アルベルトゥスとは反対にキルウォードビは天体の運動を説明するのに理性も天使も霊魂も神も必要ないと考えます。彼によれば天体は本性的に球形をしているがゆえに、自然運動によって回転運動を行います。この点で月下界において空中にある土が地上に落下することと天体の運動のあいだに違いはありません。天体の運動を自然運動と考えることはクザーヌスやコペルニクスも支持するところとなります。

 最後にアクィナス。少なくともWeisheiplの記述を見る限りでは彼は己の立場を完全には明確にはしてないようです。アクィナスによれば、(彼が解釈したところの)アリストテレスのように天体は霊魂によって動かされるとも考えることができます。しかし同時に天体からは離れた天使によって天は動かされていると考えることもできます。どうやら彼は後者の見解の方がより確からしいと考えていたようです。