- 作者: Walter Paget
- 出版社/メーカー: S Karger Ag
- 発売日: 1983/12/01
- メディア: ペーパーバック
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ウィリアム・ハーヴィに関する古典的研究を読みました。(74–112頁)。ハーヴィの生理学にとってインペトゥス理論がどのていど重要であったのかということが議論の枠組みとなっています。科学史の往年の問題関心がうかがわれる書き方ではあるものの、今となってはその枠組自体よりも、パーゲルが詳細に論じている当時の発生論の中身が歴史家にとって有用な情報源となっていると思われます。
ハーヴィが『動物発生についての演習』(ロンドン、1651年)で批判している学説の一つが、種子の中にそこから生まれる生物の霊魂が存在しており、この霊魂が生物の体を形成するのだというものです。この代表的論者としてハーヴィはフェルネルとスカリゲルを挙げています。Pagelはこの二人の学説はゼンネルトと同じであるとして、彼の学説の分析を行います(同じというよりハーヴィの主たる情報源がゼンネルトだったということでしょうけど)。
ゼンネルトによればアルベルトゥス・マグヌスやヤコブ・シェキウスといったアリストテレス主義者たちは、種子に関して誤った理解をしてきました。彼らは種子の中にはそこから生まれる生物の霊魂はないと考えたからです。アルベルトゥスによれば霊魂というのは、(アリストテレスにしたがって)器官を備えた身体の現実態なのだから、まだ器官がない種子に霊魂があると考えることはできます。またアルベルトゥスもシェキウスも動物の精液に霊魂があるなら、精液が小さな動物であるという結論が帰結し、これは不合理だと考えていました。したがって種子を身体の形成の主要な原因とするのではなくて、むしろ種子というのは身体を形成を行う道具であると考えねばならないと彼らは主張しました。大工が工具という道具を使って家をたてるように、父親は種子(精液)という道具を使って身体をつくると考えられます。ただし種子はその中に宿っている形成的力のために、親から離れて独立に機能することができ、この点で大工の工具とは異なります。この点を投げられたボールは、投げたものから離れたあとも飛び続けるという事例と類比的だと考えた論者もいました。
ゼンネルトはこのような考え方は、発生を説明するための概念を無意味に増殖させていると考えました。むしろより単純に種子の中には霊魂が最初から宿っていて、この霊魂が自分のための身体を形成すると考えるべきだというのが彼の主張です。彼によればアルベルトゥスやシェキウスが形成力と読んでいるものをなぜ霊魂と呼んではいけないのかわかりません。また種子というのは道具ではないし、また道具であるならば、なおさら使用者から離れては機能しないことになります。
ハーヴィはこれに対して種子の中には霊魂はないという立場を擁護します。彼によればAがBを形成するとき、もしBがAよりも高次の存在者であるならば、AはBの生成の主要な原因ではなく、むしろ補助的で道具的な原因とみなされなくてはなりません。よって種子の中にあるのは道具であり、この道具は従来呼ばれてきたように形成的力と呼ばれなくてはなりません。
しかし身体の形成に必要とされる知性の度合いというのは父親がもつ理性的霊魂ですら太刀打ちできないものです。またそもそも人間が種子を形成するときに使用されるのは、 栄養摂取の能力であって、これは能力としては最も低次のものです。そのため身体の形成の主要な原因というのは、種子の中の形成的力でもなく、種子をつくる親でもありません。これらはすべて道具です。
ではなんの道具か。この道具を使うものを太陽、天、自然、世界霊魂と呼んでも良いですが、いずれにせよこれらもすべて神の道具です。特に太陽は神が世界を管理するための第一の道具だと考えられます。ここから生成というのは、神が形成という非常に高度な仕事をなしとげる力を太陽を通じて両親に与えており、その力がとりわけ男性の種子(精液)を通じて身体を形成するという過程だと結論づけられます。