Studies in the History of Philosophy and Religion, Volume 1
- 作者: Harry Austryn Wolfson,Isadore Twersky,George H. Williams
- 出版社/メーカー: Harvard University Press
- 発売日: 1973/01/01
- メディア: ハードカバー
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- Harry A. Wolfson, "The Problem of the Souls of the Spheres from the Byzantine Commentaries on Aristotle through the Arabs and St. Thomas to Kepler," Dumbarton Oaks Papers 16 (1962): 65–93, repr. in Wolfson, Studies in the History of Philosophy and Religion, 2 vols. (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1973–77), 1:22–59.
天球を動かすと考えられていた霊魂についてのWolfsonによる基本論文です。何度も立ち返るべき論考であるので、2回に分けて詳しくまとめます。なお天球と天体は同じ素材からなると考えられているので、本論文の文脈では両者を区別する必要はあまりありません。以下では天球と天体をひっくるめて天と表現することもあります。
天球の回転運動の原因をアリストテレスは2通りの仕方で説明しています。一つは天球にとって外的な原因を想定するもので、この原因は不動の動者となります(『形而上学』第12巻第8章)。もう一つは天球にとって内的な原因を想定するものです。この内的原因の正体に関して、アリストテレスは矛盾する(ように見える)2つの解答を与えます。一つは天を構成する単純物体です。この単純物体は第五元素たるエーテルであり、それは本性上回転運動するため天球の回転を引き起こすというのです。ここから天球が霊魂によって回転させられるという考え方が否定されます。
しかし別の箇所でアリストテレスは天球が霊魂によって動かされると述べます。「天はいきものであり、運動のはじめ[原理]をもつ」(『天について』第2巻第2章)。「われわれは星たちを行為と生命にあずかるものと考えなければならない」。「星たちの行為も、動物や植物のそれと同じ性質のものと考えなければならない」(同書第2巻第12章、以上池田康男訳)。
天が回転するのは天球の自然本性によってか、それとも霊魂によってか。この問題が古代のアリストテレス解釈者たちにつきつけられました。シンプリキオスの証言からは、アテナイのアカデメイアにいた一部の哲学者たちが、天球の回転が霊魂によるものであることを否定し、自然本性説をとっていたことが分かります。しかし史料が残る多くのアリストテレス解釈者たちは、霊魂説をとります。テオフラストス(『天について』)、アエティオス(『哲学者たちの自然学学説誌』)、アフロディシアスのアレクサンドロス、シンプリキオスがそうでした。キリスト教教父のうちでも、タティアノスとオリゲネスが天体に霊魂を帰していることは、当時のアリストテレス解釈を反映したものかもしれません。
天球に霊魂を帰す場合、その回転運動は天の自然本性によって生じるというアリストテレスの文言をどう解釈するかが問題となります。アレクサンドロスは、天体の自然本性とその霊魂は同一であると論じることで、アリストテレスの議論に整合性をつけようとしました。アレクサンドロスの考えでは、生物であれ非生物であれすべてのものはおのれの本性と衝動にしたがって動きます。生物が持つ霊魂とはこの本性の別名に過ぎません。ただし月下の生物の場合、その身体が持つ本性とその霊魂としての本性が区別されます。このような区別は天球にはありません。そこでの唯一の本性は霊魂です。よってそれが霊魂によって回転するということと、自然本性にしたがって回転するということとのあいだに違いはありません。
これに対してシンプリキオスはアレクサンドロスを批判して、天体においても霊魂と本性とは区別されるべきだとします。霊魂というのは動かす力であり、本性というのは動かされうるという受動的性質です。これら動かすものと動かされるものがかみ合うことで天球の回転運動は生じるとシンプリキオスは主張しました。
天球に霊魂を帰すという点では一致する哲学者たちも、その霊魂はどのような種類の霊魂なのかという点では意見を異にしていました。彼らはそれが栄養摂取的霊魂ではなく、また理性的霊魂であるという点では同意します。しかしそれは感覚的霊魂でもあるのか。カイロネイアのプルタルコスは天体に視覚と聴覚能力を認めます。アレクサンドロスは感覚能力を天は持たないとします。アテナイのプルタルコスは天体に感覚能力を与えます。アリストテレス解釈者としてのフィロポノスは天体は感覚能力を必要としないと主張しました(ただしキリスト教徒としての彼は、天が霊魂なり天使なりによって動かされるという考え方そのものを否定していた)。シンプリキオスは味覚と嗅覚という低次の感覚を天に帰すことには反対したものの、触覚、視覚、聴覚は認めました。オリュンピオドロスは視覚と聴覚だけを認めています。テミスティオスは天は感覚を持たないと主張しました。(続く)
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