四性質がつくる世界:ヒポクラテス文書より

 ヒポクラテスの『人間の自然性について』の第7節では、人間が粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁から構成されていて、それらのうちのどれが四季の変化とともに強くなるかが述べられています。しかしこの文書の著者は突然医学の領域を踏み越えて、宇宙論的な議論を展開します。曰く、

つまり、一年全体が温、冷、乾、湿のすべてにそれぞれあずかっているのである。実際、これら四性質のどれ一つといえども、この宇宙にあるすべてのものがないならば、一時たりとも存続できないだろう。が、逆にこのうち何か一つが欠けても、すべてのものが消失するであろう。それというのも、すべてのものが、同じ必然性から成り立っており、相互に養い合っているからである。それと同様に、以上の構成要素[温、冷、乾、湿、あるいは粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁]のうちの何かが人が欠けるとしても、人は生きていくことができないであろう(大槻マミ太郎訳)。

人間は四つの体液によって構成されていて、その体液の性質は温、冷、乾、湿の四性質に対応している。この四性質は四季に対応している。ここからこれら四性質が相互作用しあうことで宇宙の秩序は成り立っているという結論が導かれています。

 しかもその相互作用は必然的なものです。つまり、万物のうちの何か一つでも欠ければ四性質は存続できず、この四性質が存続できなければすべてのものが消滅する。こういわれるほどに現在の宇宙のあり方が必然的なものとしてとらえられています。

 ヒポクラテス文書の四体液説といえばけっこう知られてはいますけれど、それがこのような宇宙論的な枠組みの中で展開されていたことはそれほど知られていないのではないでしょうか。人体を通して宇宙について考えることには長い伝統があります。これはすでにはじまりのヒポクラテス文書からそうであったわけです。

 少しマニア向けに。『人間の自然性について』に現れる世界観は後代に発達する存在の連鎖の考え方に近いものがあります。存在の連鎖とは、存在論的に劣悪な事物から高次な事物に至るまでの各段階が連続的に諸事物によって占められており、そうして作られる大連鎖というのは必然的なものであり、どれか一つでも欠けると全体が損なわれるような性質を持つ、というような考え方のことです。

 上記のヒポクラテス文書の記述はこの存在の連鎖の考え方を正当化するものとして容易に援用することができますし、実際に歴史上そのような用いられ方がされたこともあります。したがってこの記述はヒポクラテス文書の解釈史が形而上学と交差する重要な場所となります。

 しかし解釈史上の問題に挑むためにはまず持って『人間の自然性について』の記述自体を理解せねばなりません。たとえばヒポクラテス文書全体の中で上記のような記述はどのように位置づけられるべきでしょうか。このようなことを理解するためにはヒポクラテス文書の研究に当たる必要がありますが、まだそれは出来ていません。ヒロさんのゲマ論文を参考にすると、次のような論文が有用な手がかりを与えてくれそうです。 

  • J. Jouanna, L'interprétation des rêves et la théorie micro-macrocosmoque dans le traité hippocratique Du régime: sémiotique et mimesis, in Text and Tradition: Studies in Ancient Medicine and Its Transmission, ed. K.-D. Fischer and others (Leiden: Brill, 1998), 161-74.
  • R. J. Hankinson, "Magic, Religion and Science: Divine and Humanin the Hippocratic Corpus," Apeiron 31 (1998): 1-34.