スコラ学における不可知の実体 Pasnau, Metaphysical Themes, ch. 7

Metaphysical Themes 1274-1671

Metaphysical Themes 1274-1671

  • Robert Pasnau, Metaphysical Themes 1274–1671 (Oxford: Clarendon Press, 2011), 115–34.

 Pasnauの大著からスコラ哲学の根本的特質について論じた章を読みました。多くのスコラ哲学者が立てていた区別に、実体と付帯性のあいだの区別があります。この区分から彼らは、実体を知るということは不可能、ないしは容易ではないという結論を引き出しました。人間が感覚できるのは事物がもつ付帯的な性質だけです。よってこの性質を有する実体について私たちが直接知ることはできない。それは付帯的性質という幕の向こうにあるものだ、となります。感じることのできる性質の向こうに、事物にとってより根本的な実体があるという考えは、たとえば17世紀にトマス・ホッブズによって批判されました。しかしこのような考えは新哲学の支持者たちによって全面的に排除されたわけではありません。ガッサンディにもニュートンにも引きつがれているのです。

 実体が第一質料と実体形相の結合体と考えられた場合、実体が何らかの意味で知りうると言われるためには、第一質料と実体形相のうちのどちらかが知られうるものでなくてはなりません。しかし多くのスコラ学者は第一質料を「〜ではない」という形で消極的に定義することはできても、その特徴をそれ自体として記述することはできないと考えていました。

 ここからスコラ学者たちは感じることができる付帯性の水準を超えて事物の実体について論じることができないとみなしました。したがって彼らは牛は牛性を持つ、とか人間は人間性を持つ、とかいう記述で満足したのです。ここからWilliam Crathorn(fl. 1330s)やNicholas of Autrecourt(ca. 1298–1369)のようにそもそも実体なんてないのではないかと疑うにいたりました。しかし後者の学説は異端とされました。

 ニコル・オレーム(ca. 1320–82)は実体を知ることができないという帰結を避けようとしました。彼によると、付帯的性質というのは実体とは独立に存在し得ないのだから、付帯的性質を知ることは実体について知ることです。しかしスコトゥス以降の14世紀のスコラ学は実体とは独立に付帯性が存在しうるとみなしていました。すると実体を付帯性から知ることが難しくなるのは自然なことです。

 実体を知ることができないという学説に抵抗したアリストテレス主義者として、チェーザレ・クレモニーニ(1550–1631)の名を挙げることができます。彼は四元素がその性質(熱、冷、湿、乾)とは別の実体形相を持つという学説を否定しました。彼の議論は四元素の水準に限定されたものであり、いかなるその点では粒子論ではありません。しかしそれは四元素としての性質を備えた粒子が組み合わさることで現象は立ち現れるという(初期の粒子論者たちの)学説をそこから導き出しうる性質を持っていました。