ヒポクラテスの霊魂単一説?

 スカリゲルの『アリストテレス「動物誌」注解』(1619年)、1216ページ(10巻5章636b10–23への注)に次のような記述があるのを発見しました。

〔ガレノスは〕霊魂は体にたいして極めて従属的であると考えたため、霊魂を物質的なものとすらみなすにいたった。ヒポクラテスはより賢明であり、ガレノスは彼の教えを神的なものと呼んでいながら、極めて重要な点でそれをないがしろにした。というのもヒポクラテスは『肉について』で霊魂を天的なものであると言っているからである。たしかにこれは正しい。しかし以下のことについては賢明に述べているとは言えない。というのも霊魂の単一性に関するアヴェロエスの意見(これを彼はテミスティオスから剽窃したのだが)をヒポクラテスは誰よりも早く『養生について』で提出したからである。

Animam enim adeo obnoxiam corpori putavit, ut etiam materialem ratus sit. Sapientius Hippocrates, cuius praecepta, divina cum appellet, neglexit in re magis necessaria. Ille enim in libro de carnibus, animam rem caelestem dicit: hoc quidem recte: at illud minus sapienter. Quippe Averrois opinionem de animae unitate, quam is a Themistio furatus fuit, primus omnium protulit, in libro de victus ratione.

 『肉〔質〕について』でヒポクラテスが霊魂を天的なものとみなしているというのは、ギリシア語の本文から引き出すのは難しいものの、カルヴォのラテン語訳(1525年)を使って同書に当たれば自然と出てくる解釈です。

 しかし『養生について〔食餌法について〕』(のおそらく1巻)の宇宙論的記述が実はテミスティオスやアヴェロエスの霊魂単一説の先触れであったという後半の解釈はなんなのでしょう。これはどう位置づければよいのでしょう。

→ヒロさんの2011年10月7日の日記です。

午後に、ヨシ君に送ってもらった論文「ヒポクラテスの『養生について』における霊魂、種子、そしてパリンゲネシス」 を読みました。基本的には、著者である偽ヒポクラテスの霊魂を宿した種子のアイデアについての議論です。それによると、生命の元となる種子が空中を飛んでいて、呼吸とともに動物や人間のなかに入り、整った環境である場合にだけ成長して、高度な霊魂の機能を働かせる話で、このアイデアの起源をオルフェウスピタゴラス派においています。議論が難しい場面もあるのですが、いろいろ勉強になりました。セヴェリヌスの種子の哲学と似ている部分も多々あり、なぜ彼がこの『養生について』を重要視したのかが、そういうことだったのか!という感じでよく分かりました。

スカリゲルはこのアイデアを霊魂(知性)単一説と重ねているということでしょうか。