『命題集』注解という場 Murdoch, "From Social into Intellectual Factors"

 昨日ジョン・マードックが亡くなったという話をブログで取り上げたので、彼の代表的論文を読み返しました。

  • John E. Murdoch, "From Social into Intellectual Factors: An Aspect of the Unitary Character of Late Medieval Learning," 271-348.

 長さからも分かるようにいろいろなことが書かれている論文です。今回気になったのは中世学問における『命題集』注解の伝統について述べた部分でした。

 中世で神学的問題はしばしば哲学由来の議論の枠組みの中で論じられた。神学という領域が学芸学部より来たる知的体系にたいしてひらかれていた原因の一つは、神学を論じるための基本的場がロンバルドゥス『命題集』への注解書であったことである。実際『命題集』注解は神学者たちに極めて自由度の高い議論の場を提供していた。同書のどれだけの範囲を扱うか。選んだ範囲の中で何を問題にするか。これらのことはかなりの程度、個々の論者の裁量に任されていた。またすでに原文が専門的な術語に満ちていたアリストテレスの著作に注釈を施す場合と異なり、『命題集』の分析のためには外部から解析のための術語を持ちこむ必要があった。このため神学者たちは自由に哲学由来の議論を神学の実践の場に持ち込むことができた。

 この結果、『命題集』注解では創造について解説しているはずのところで虹をめぐる自然学的考察が現れたり、三位一体の議論に専門的な論理学の話が挿入されたりするということが常態化した。事態を重く見たパリ大学は1366年に「『命題集』を読む者は、著作の本文が要求する限度を超えて問題を論理学や哲学の素材として扱ってはならない」と命じた。しかしこのような禁令は効力を持つことはなく、『命題集』注解というアリーナでの哲学的議論の伝統は15世紀に至るまで続くことになる。