再びラスヴィッツへ Lüthy, Murdoch, and Newman, "Corpuscles, Atoms, Particles and Minima

Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories (MEDIEVAL AND EARLY MODERN SCIENCE)

Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories (MEDIEVAL AND EARLY MODERN SCIENCE)

  • Christoph Lüthy, John E. Murdoch, and William R. Newman, "Corpuscles, Atoms, Particles and Minima," in Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories, ed. Christoph Lüthy, John E. Murdoch and William R. Newman (Leiden: Brill, 2001), 1-38.

 原子論の歴史についての基本書はいまなおラスヴィッツ『中世からニュートンまでの原子論の歴史』(Lassvitz, Geschichte der Atomistik vom Mittelalter bis Newton)である。この書物は初期近代の原子論や粒子論は、古代や中世の原子論とは性格を異にするという立場をとっていた。古代の原子論はエレア派の問題提起に答えるために定式化された。それは自然世界の説明原理となることを目指したものの、多くの場合成功しなかった。一方イスラム世界の神学者が提唱した原子論は、すべての出来事の原因を神に帰すための議論で、具体的な自然世界を説明しようとするものではなかった。同じように14世紀にスコラ学のうちに登場した原子論も、アリストテレスの『自然学』への反応として生まれたものであり、その性格はもっぱら数学的で、具体的な自然現象の説明を目指していたわけではなかった。

 では現象を救おうとする原子論はどこから現れたのか。ラスヴィッツが着目したのは、古代末期の技術文献であった。アレクサンドリアのヘロン、アスクレピアデス、ウィトゥルウィウスといった人物たちは、現象を説明するために微小な物質の相互作用を呼び出している。たとえばウィトゥルウィウスの説明には、真空への言及もない。それは古代原子論とは異なる実践的性格を有していたのである。

 さらにラスヴィッツはこの実践的な原子論を中世から初期近代にかけての錬金術の伝統のうちに見いだしている。とりわけ彼はゲベルの『完全大全』のうちに一貫した粒子論的説明があると指摘した。彼はこの文書の本当の由来も、そこにある理論的性格(アリストテレスの『気象論』第4巻に大きく依拠している)にも気がついていなかったものの、中世から初期近代の錬金術の伝統に着目したことは、驚くべき慧眼であった。

 ラスヴィッツの見方はホーイカースに引き継がれる。彼は哲学者が中世以来発展させていた混合の理論を不毛な試みとして退けた。彼がそれに対置した有益な試みの担い手は、医学者、錬金術師、そして技術者であり、彼はこれらの人物を科学者と呼んだ。ラスヴィッツはホーイカースほどはっきりと哲学者と科学者を区別してしなかったものの、彼らは粒子論がそれまでの実践的な性格から、17世紀になってはじめて理論的な性格を帯びるようになったと考える点で一致している。

 この議論をさらに発展させたのがMarie Boas Hallであった。彼女はボイルの機械論を旧来の物質論と鋭い断絶を画する画期とみなした。彼女によればボイルは粒子論と機械論を実験のうえに基礎づけたという功績を有する。この帰結は彼女をしてボイルのソースを見落とさせることとなった。ボイルはその粒子論を正当化する実験をダニエル・ゼンネルトからとっていたからである。

 しかもそもそも原子論や粒子論を正当化できる確かな経験的根拠を初期近代の哲学は有していたのか。Christoph Meinelらの研究によればそうではない。ではなぜ経験的根拠が薄弱でもあるにもかかわらず、粒子論的説明は受け入れられたのか。古典的な答えは、粒子論・原子論は機械論哲学の成功により広まったというものである。だが機械論そのものは多くの場合量的にあらわされた自然法則の説明に失敗していた(ガリレオの自然学ではケプラーの法則ガリレオの法則も説明できていない)。しかも初期近代の原子論はしばしば機械論的ではなかった。機械論と粒子論の結びつきは決して強くなかったのである。機械論の説明を粒子論の説明と直ちに結びつけることはできない。

 では原子論的・粒子論的な理論の成功はどう説明されればよいのか。ここにおいて、ラスヴィッツのような17世紀とそれ以前を鋭く断絶させるのではなく、それ以前のたとえば中世への伝統にも目を配る歴史記述がモデルとされるべきだと著者たちは論じている。