スコトゥス主義形而上学の展開 Duba, "Three Franciscan Metaphysicians after Scotus"

 スコトゥスが神学・哲学の歴史のなかで果たした役割を見きわめるためには、その著作が以後の著述家たちによっていかに読まれ、その解釈がいかに彼らの論述のうちに反映されていったかを検証せねばならない。この試みはスコトゥス直後の1300年代前半までは近年行われるようになってきているものの、1300年代の後半から1400年代にフランシスコ会の学院でなにが行われていたかはよくわかっていない(そもそも1400年代は全体的になにが起こっていたのかわからない)。本論は1300年代の前半、とりわけ20年代スコトゥス主義者たちの研究を牽引している著者が、形而上学を素材に、視界に入れる時間の幅をいつもより長めにとって議論を行った論考である。その議論の本体は難解で細かい形而上学的区分の解説となっているため、ここでは概要だけをかいつまんで紹介しよう。

 近年のスコトゥス主義の研究では、アントニウスアンドレアエ、マルキアのフランシス、ニコラス・ボネが一連の流れのなかで記述されることが多い。彼らが徐々に存在としての存在を扱うという意味での形而上学を確立していったように思われるからである。スコトゥスに見られるこの形而上学観をアントニウスはより明確にした。マルキアのフランシスはさらに先を行く。一般的な形而上学と特殊形而上学を分け、前者を存在を存在として扱う学とし、後者を神を考察する学とした。ボネはこの分離を強化し、前者を形而上学、後者を自然神学とし、それぞれ別の著作で扱った。こうして存在論(この単語はまだないが)としての形而上学と、神学としての形而上学スコトゥス主義者たちの手によって分離されていったというわけだ。

 この歴史記述には真実が含まれているものの、彼ら三人のあいだにあった大きな見解の相違を覆い隠してしまっている。カタルーニャ出身のスコトゥス主義者で、1333年以前に活動したアントニウスはきわめて厳格なスコトゥス主義者であった。彼はスコトゥス形而上学関係の議論でははっきりさせられていない点や、明示的になっていない相互参照関係を明確にし、またスコトゥスの分析を補完するような論述をつけくわえもしている。こうしてアントニウスによって体系化され、一貫性を持たされた形而上学が、後世スコトゥス形而上学として学ばれることになる。マルキアのフランシスはパリで学んだ神学者である。彼はその『命題集注解』と『形而上学』注解を通じて、スコトゥススコトゥス主義者たちの術語を一貫して用いている。しかし彼はときとして、彼のスコトゥス本人を含む先達たちを批判し、自らの見解を提示するにいたっている。

 トゥーレーヌ出身のニコラス・ボネもまたパリで神学の学位を1333年ごろに取得したと考えられる。彼は一連の著作を書き、それらはMetaphysica, Physica, Predicamenta, Theologia Naturalisと題されていた。このうちMetaphysicaは、アリストテレス形而上学』の注解ではない。それは存在としての存在を扱う学を、パリのスコトゥス主義者たちの術語を使って解説した書物である。自らの著作に『形而上学』という表題を与えたのはこのボネがはじめてであった。本書はフランシスコ会の学院の教科書として用いられ、広く流布することになる。また1505年には彼は普遍の実在をアリストテレスの考えとして提示していた。1505年にヴェネツィアで印刷出版されたボネの著作集にも収録されている。それに含まれるテキストの質は高くない。章分けも写本のものとは異なっている。編者のLorenzo Venierが欄外に書き加えている注釈はときとして不正確である(メロンヌのフランシスに帰すべき見解が、ペトルス・アウレオリに帰されていたりする)。Venierによる注記には興味深い点もある。ボネは普遍について非常に強い実在論をとり(これはマルキアのフランシスと対照的である)、それをアリストテレスの正しい解釈とみなしていた。その箇所に注記してVenierは、そのような実在論アリストテレスの見解であるとは考えられないと記している。また他の箇所でもVenierはボネの見解に異を唱え、自分はアヴェロエスに与するというようなことを述べている。

 このようにボネの書物は16世紀初頭のアリストテレス主義者には衝撃を持って受け止められていたのだが、それでも当時は大変高い評価を受けていたようである。1505年ヴェネツィア版の序文には、ピコ・デラ・ミランドラがボネを賞賛していたと書かれている。実際にピコの蔵書にはボネの著作が含まれていた。またそこにはニコラスの形而上学関係の著作や、マルキアのフランシスの『命題集』注解も含まれている。この他にも多くのスコラ哲学者、人文主義者の蔵書はこれらフランシスコ会士たちの著作を所蔵していた。こうして彼らの形而上学は、中世が終わり近代に入って以後も議論の対象となり続けたのである。