思想史における転換、文脈、説明:活力論争とオイラー

 今日はこちらの研究会でした。

 有賀さんの博士論文構想は、レオンハルト・オイラー(1707–83)に関するものでした。力学史上オイラーニュートン力学を確立した人物として知られています。この「確立」が意味することのひとつは、彼がそれまで一般的であった「力」理解に代えて、新しい(そして今日まで続く)「力」理解を導入したことにあります。有賀さんによれば、この革新にともなって唱えられた「力に関するオイラーの(一見奇妙な)主張」は、1680年代より続いていた活力論争という文脈に位置づけなければ理解できません。したがって、博士論文はまず活力論争の分析を行い、それを土台にオイラーの力をめぐる洞察を分析するという構図をとっています。

 しかし実際に研究会でオイラーの言っていたことを聞いてみると、この構図に対する疑問がわいてきました。どうやらオイラーが新しい力理解を導入した主たる動機は、活力論争を収束させようとか、その無意味さを示してやろうとか、とにかくそういう活力論争への応答にあったのではなかったようです。むしろ彼は物体は不可入であるといった独自の物体理解にそって、自らの力概念を練りあげていった節があります。

 もしそうだとすると、活力論争がオイラーの新しい力理解にたいして提供する「文脈(context)」というのは、相対的に弱い説明しか与えないものになるように思えます。因果的説明に近いような強い説明機能を果たす文脈は、活力論争によっては提供されず、むしろ物体に関してオイラーが抱いていた一群の観念、およびその形成に寄与した知的伝統によって与えられるのではないでしょうか*1

 同じことを角度を変えてもう少し一般的に表現するなら、ある語で意味されていることがらについての理解が変化したということは、古い理解に起因する何らかの動機のもとで歴史的アクターが新しい理解を考案したということを保証しないということになります。ここでの問題に即せば、活力論争中に想定されていた力理解が、オイラーによる新しい力理解に置き換えられたことは、力の概念史上の大きな転換*2を示しはするものの、転換前の力理解が転換後の力理解の出現を説明する文脈を提供するとは限らないということになります。

 「概念史上の転換の前後に目配りすることが、転換の説明を与える」というのは思想史研究では避けられなければならない誤謬です。有賀さんがこの誤謬を犯しているとは思えないものの、「今日的な力への移行は、いつ、どのようにして起こったのか?」を問う論文の「かなりの部分」が「活力論争・・・についての考察に充てられることになる」と書かれているのを見るとき、意図せずこの誤謬に足をからめとられている可能性を疑うべきではないかと感じました。

補足

 文脈についての記述は次の論文を踏まえて書かれています。

  • Peter Galison, "Ten Problems in History and Philosophy of Science," Isis 99 (2008): 111–24.

*1:ただし力の問題を衝突という現象にそくして考えている点で、オイラーの新しい力概念の形成に活力論争が一つの説明パラメータとして寄与していたという点は間違いなくあるようです。

*2:移行と言ってよいかは分からない。