実験室のなかへ

Science In Society: An Introduction to Social Studies of Science

Science In Society: An Introduction to Social Studies of Science

  • Massiano Bucchi, Science in Society: An Introduction to Social Studies of Science (London: Routledge, 2004), 61–76.

 科学社会論の標準的教科書から実験室研究を取り上げた部分を読みました。科学的知識が社会的に構成されるという立場は、規模の大きな社会的要因が科学知識形成の過程に因果的に関与すると想定していました。これに対抗する形で1970年代半ばより現代科学に関してそこでの知識形成が実験室でのインフォーマルな会話、試行錯誤、仮説と説明のアドホックな修正というミクロな水準ではたらく偶然的(contingent)な過程により起こることに着目した研究が現れます。LatourとWoolgarのLaboratory Life (1979)が古典的研究です。そこでは科学的知識を構築するさいのレトリカルな次元が強調されました。当初は推測であることを示すために付されていた単語が、言明の事実性を際だたせるために除去されていくという様相の局面が見いだされました。またLatourらは論文における研究過程の逆転化に着目しました(AとBを同定して前者が後者を引き起こすという結論が引き出されるやいなやAとBが実体化して、それらのあいだの因果的関係性ずっと発見されるのを待っていたとされる)。Knorr Cetinaは実験室で行われるインフォーマルな推論と、科学論文での文学的な(つまりその効果を周到にみこしたレトリカルな)推論過程を区別しています。実験室研究はその検証範囲が実験室に限定されるため、その外のより広い社会的コンテキストがいかに科学的知識の構築に関与するかを見えにくくするという欠点を有していました。

 知識の社会構成主義に対抗するもう一つの研究潮流はCollinsとPinchの研究に代表されるものです。彼らは研究の焦点として科学上の論争を選びました。彼らの研究の一つは「実験家の後退」という現象に着目しました。Aが存在するという結果を示す装置が適切に稼動していると確信できるのは、当の実験家がAが存在するとあらかじめ確信している場合だけである。もしAが存在しないという結果を装置が示せばそれは適切に稼動していないと実験家はみなす。実験家の信念と独立に実験装置の信頼を判断することはできない。このような時に相互に異なる信念を抱く実験家たちのあいだで装置の信頼性をめぐる論争が収束を可能にするのは社会的な規準です。ある実験家とその人物が所属する組織の評判、実験家の国籍、リサーチコミュニティでの地位、同僚からのインフォーマルな評価が実験の信頼性の重要な指標となります。この指標提供に当たってはあらゆるアクターが同等に重要な役割をはたすのではなく、コア・セットという中心的な研究者集団と組織が実験を収束させるに決定的な立場にあるとCollinsとPinchは考えました。しかしこのことはコア・セットのそとのアクターが科学的論争で果たす役割を軽視することになります。

 Latourのアクターネットワーク理論は科学についてのミクロな検証の説明能力を拡張しようとする試みの一つです。ワクチン接種により感染症を予防できるというパストゥールの主張が科学的事実として勝利を勝ち得たのは単に彼の天才に依存するのではなく、軍隊の言葉で表現するならば将軍であるパストゥールが非常に巧妙にみずからの援軍(諸アクター)のネットワークを組織し得たからだとLatourは考えました。彼はみずからの諸アクターの利益となるようにみずからの仕事を「翻訳」し、それらアクターを援軍として自軍に引き入れることに成功しました。またアクターのなかには人間のみならず非人間(たとえば装置や病原菌)も含まれるとされます。ここから科学的な発見が拡散するというモデルは否定されるとLatourは考えました。なぜならそのモデルではどうしてある発見に対するあるアクターの態度がある時点で変化するか(いつその発見の援軍とされるか)を説明できないからです。以上の考察からLatourは二つの方法論的帰結を引き出しました。一つは自然というのは論争の結果なのだから、論争の収束を説明するために自然を持ち出すことはできないということです。もう一つは論争の収束を説明するために(固定された)社会を持ち出すこともできないということです。なぜなら論争の一方に好意的な社会的要因というのは論争の結果固定化されたものであり、それが論争の出発点にあったわけではないからです。科学的知識(自然)も社会もアクターネットワーク形成の産物であり、その理由として呼び出すことは禁じられます。

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