17世紀哲学における空間、時間、物質 Palmerino, "The Isomorphism"

  • Carla Rita Palmerino, "The Isomorphism of Space, Time and Matter in Seventeenth-century Natural Philosophy," Early Science and Medicine 16 (2011): 296–330.

 17世紀における時間概念、空間概念の変遷をニュートンの(物体から完全に独立して存在する)絶対時間、絶対空間というアイデアに収束していく過程として捉えるヒストリオグラフィを修正しようとする野心的試みです。

 アリストテレスは時間、空間は無限に分割可能な連続体であるという考えを提出していました。これに対してエピクロスは時間も空間もまた原子と同じように分割不可能な最小単位を持ち、それゆえに非連続的なのだとしています。このエピクロス流の考えはアラビア哲学でも中世哲学でも時には支持されていました。しかしこの考えが本格的に表舞台に現れるのは、粒子論が台頭する17世紀のことです。

 物質、時間、空間を非連続的なものだとする考えはデカルトによってはもちろん拒否されました。しかしマグネン、バッソガッサンディ、チャールトンといった原子論者たちは原子と同じく空間、時間も非連続的だと唱えていました。

 一方ガリレオ・ガリレイは『ディスコルシ』(1638)のなかで彼らとは違ったタイプの原子論を提唱しています。彼によればたしかに時間、空間、そして物質はすべて原子からなる。しかしこの原子は延長を持たない、というのです。これはエピクロス流の原子論とは異なるタイプのものです(数学的原子論と呼ばれます)。同じように空間の最小単位もまた大きさを持たず、時間の最小単位も幅を持たないとされます。このように広がりを持たない物質、空間、時間を想定することでガリレオが説明しようとしたのは物体の加速と希薄化・濃密化の問題でした(この問題について詳しくは、伊藤和行ガリレオの数学的原子論」〔PDF〕を見てください)。

 しかしこのガリレオの考え方は少数派にとどまり、多くの原子論、粒子論者たちは原子、空間、時間に一定のそれ以上分割不可能な、しかし有限の最小単位を認めた上で、加速という連続的な現象を説明しようとしたり、真空の侵入を想定せずに希薄化を説明しようと試みていました。

 アイザック・ニュートンもまたその経歴の初期においては、物質、空間、時間のすべてに最小単位を認めるというここまで解説してきた考え方をとっていました。しかし後年には、物体は原子からなる非連続的なものであるが運動は連続的なものであるという主張を両立させるために、空間、時間を連続的なもの、すなわち最小単位から構成されるものではないと主張するようになりました。

 17世紀に新しい物質理論が台頭したときには、アリストテレス流の連続的な時間、空間という観念への支持が弱体化し、それらを最小単位から構成される非連続的なものと捉える学説が広まっていたこと。これがポイントです。