中世の原子論再訪 Atomism in Late Medieval Philosophy and Theology

Atomism in Late Medieval Philosophy and Theology (History of Science and Medicine Library)

Atomism in Late Medieval Philosophy and Theology (History of Science and Medicine Library)

  • Christophe Grellard and Aurélien Robert, eds., Atomism in Late Medieval Philosophy and Theology (Leiden: Brill, 2009).

 中世の原子論を扱う新しめの論集の序文を読む。古代にレウキッポス、デモクリトス、そしてエピクロスらによって定式化された原子論は、西洋中世世界で忘れられていたわけではない。エピクロス派詩人ルクレティウスの作品は伝承され続けていたし、エピクロスの学説も間接的なソースを通じて知られていた。だがキリスト教教父たちが、エピクロスによる摂理の否定や快楽主義を攻撃した結果、その哲学は自然哲学の学説としてというよりも、神学的に問題のある説として攻撃されるにとどまる傾向が常にあった。原子論が自然世界の説明として初めてクローズアップされるのは12世紀のコンシュのギヨームを待たねばならない。だがその原子論はプラトン主義と医学の伝統を汲むものであり、古代の原子論の読解に基づいたものではなかった。

 13世紀にはいっても、原子論が発展することはなかった。アリストテレスが本格的に導入されたことにより、原子論の主要な提唱者はエピクロスルクレティウスではなく、デモクリトスとみなされるようになった。

 14世紀になると状況が変化する。ある特徴的な種類の原子論があらわれるのだ。あるいは不可分者(indivisibles)をめぐる議論といってもいいかもしれない。それはアリストテレスによる『自然学』での議論に端を発するもので、連続体は有限の数の不可分者の集合としてとらえられるかという問題であった。この問いにイエスと答えるものが、それ以上分けられないもの、すなわちアトムを認めはじめるというわけだ。

 この特異な原子論の研究をけん引してきたのが、ジョン・マードックである。彼によればなぜ14世紀にこのような原子論がとつじょ問題となったのかは分からない。それを問題化することにいかなる意義があったかも不明である。この議論はもっぱらアリストテレスの議論への反応であった。そこに古代の原子論への回帰といったものはない。最後に、14世紀の原子論の一大特徴は、それが数学的(より正確にいえば幾何学的)な議論であったということである。それは具体的な自然世界を扱うものでも、世界の基本的あり方をめぐる形而上学的議論でもなかった。

 本論集はまさにこのマードックの主張の最後の部分を検証するために編まれている。本当に14世紀の原子論は数学的な性格しかもたなかったのか。さまざまな論者の議論を検討することで、マードックに挑戦し、14世紀の原子論がこれまで考えられてきたよりも複雑な性質を有していたことを明らかにしようとしている。