アレクサンドロスの1400年

  • アフロディシアスのアレクサンドロスと彼の霊魂の教説:1400年持続した重要性」Eckhard Kessler, "Alexander of Aphrodisias and His Doctrine of the Soul: 1400 Years of Lasting Significance," Early Science and Medicine 16 (2011): 1–93.

 非常に長い時間的スパンに渡って一人の哲学者の受容され方を調べた長尺の論文です。アフロディシアスのアレクサンドロスは紀元後2世紀終わりから3世紀前半にかけて多くのアリストテレス注釈とその他の哲学作品を著した人物として知られています。古代末期に書かれたアリストテレスの注釈の多くは新プラトン主義者によって書かれており、この学派が現れる前に大規模な注釈を多く残したアレクサンドロス哲学史上特異な地位を占めてきました。古代の新プラトン主義者たちは彼に敬意を払っていたものの、彼がプラトンアリストテレスの学説を調和させるという試みをしていないとの批判をしばしば向けました。

 ギリシア哲学の伝統がアラビア世界に伝播したさいに、アレクサンドロスの著作の多くもアラビア語に翻訳され利用されることになりました。注釈家アヴェロエスは、アレクサンドロスは人間の知性を物質から構成される可滅的なものであると考えたとして批判しました。またアヴェロエスによれば知性のようなものまで物質に還元するような学説は、自然に見られる秩序をすべて物質的原因に還元することにつながりかねず、これはすなわち全てが偶然から生じるとする学説になってしまうとも論じました。

 ラテン中世では少数の例外を除けば、このアヴェロエスの批判がアレクサンドロスへの評価を規定していました。すなわち彼は人間霊魂の不死性を否定した哲学者として退けられるのが常でした。ルネサンスプラトン主義者たちのアレクサンドロスへの視線はそれほど厳しいものではなかったものの、彼らにとってはアリストテレス主義自体がプラトン主義に従属すべきものでした。

 アレクサンドロスへの関心を高めるきっかけとなったのは、ジロラモ・ドナートによる『霊魂論 Enarratio de anima』の翻訳です。1495年に出されたラテン語訳の序文でドナートはアレクサンドロスは古代におけるアリストテレスの地位を確固たるものにした偉大な哲学者であり、古代の終焉以降堕落してしまった哲学を立て直すための土台となるべき作品を残した人物だと主張しました。

 このラテン語訳とドナートによるアレクサンドロス『知性について』のラテン語訳(散逸)に依拠して、ニッコロ・ヴェルニアはアレクサンドロスは人間知性を不死だと主張していたとし彼を弁護しました。一方アゴスティノ・ニーフォはアレクサンドロスが人間知性の不死性を否定したことは認めながらも、彼の知性論が偶然に支配された世界像をもたらすというアヴェロエスの批判に対しては、世界に目的論的な構造を認めることでアレクサンドロスは自然秩序のあり方を説明したのだと彼を擁護しました。16世紀後半に活動したザバレラはアレクサンドロスの学説を手がかりに、可能知性の役割を拡大し認識論において能動知性が果たす役割を大幅に低下させ、このことによって古代以来の認識論の枠組み自体が揺るがされる事になりました。

 これと並んでアレクサンドロスに依拠して自然学の自律性を確保しようという一連の哲学者たちが現れます。ピエトロ・ポンポナッツィは信仰に依拠して探求される超自然的な領域と感覚に依拠して探求される自然的領域を区別し、後者の自律性を主張すると共に、後者の範囲内ではアレクサンドロスが言うがごとく人間霊魂の不死性は立証できないとしました。彼によれば自然的領域では超自然的存在であろうとも(神を除けば)物体を位置運動させることで働きかける必要があるのだから感覚に依拠した自然学は超自然的な原因の存在を認めながらも自然的な探求に従事することができることになります。

 二フォの弟子であるシモーネ・ポルツィオも同じく自然学を神学から切り離し両者の自律性を強調しました。アレクサンドロスを最も信頼できるアリストテレス解釈者とみなしていた彼は、あらゆる形相は物質の混交から生じると考えました。ジロラモ・フラカストロも共感・反感の作用として説明されていたものを第一性質の相互作用から説明しなおそうとするときはアレクサンドロス的学説に立ち返っていましたし、ジロラモ・カルダーノのあらゆるものに浸透する熱という考えも、アレクサンドロスの第一性質を重視する学説から引き出されていました。同じくベルナルディノ・テレジオも自然現象を物質の相互作用から説明しようとしました。ここでアレクサンドロスと同じく、自然の秩序をどう説明するのかという問題に直面したテレジオは、万能の神がこの秩序の創造者としてあることが自然の秩序の十分な根拠になるとしました。ただし彼は人間の霊魂にかんしてはそれが外部から到来するというキリスト教的であり、またアリストテレス的でもある伝統的学説を維持しました。このテレジオはフランシス・ベイコンによって最初の近代人と言われることになります。