古代哲学における実体

  • 中川純男「西洋古代思想における実体概念」『比較思想研究』第25号別冊、1998年、77–80頁。

 短いながらも実体概念について勘所を押さえた記述をしている佳作だと思います。実体(ウーシア)というのは、ただある(存在する)ものを指すのではなくて、「本当にあるもの」「確かにあるもの」を指す言葉です。では「本当に」とか「確かに」とはどのような意味で言われるのでしょう。アリストテレスはこのことについて二つの考え方がとられてきたと考えました。一つは「AとBの間に、AはBなしにも存在するがBがAなしに存在しえないという関係が認められるとき、AはBより『より存在する』」という考えです(78頁)。たとえば物体がなくても元素があるから、元素は物体よりもより存在する。このような「それなしではありえない」という論理をつきつめていけば、最後になんの性質も持たず、すべてのものの土台としてある(「一種の場所のようなもの」と中川さんは言っています)質料にたどり着きます。この意味で質料は実体です。もうひとつの考え方は、事物の定義(本質)、つまり形相を実体とみなす立場です。AがAであることを定める根拠となるものこそまずは存在するとする考え方ですね。アリストテレスはこれら二つをともに実体であると認めながらも両者の立場の接点を探り、質料と形相の結合体が実体であると主張しました。その後のストア派は前者の立場のみを採用し、反対にプロティノスは後者の立場だけを採用したとされます。