アリストテレスからの連続創造説 ライプニッツ「ヤコプ・トマジウスとの往復書簡」

ライプニッツ著作集 第II期 第1巻 哲学書簡

ライプニッツ著作集 第II期 第1巻 哲学書簡

 「ライプニッツ著作集」第II期の刊行がついにはじまった。第1巻は重要な書簡を集めたものとなっている。冒頭に置かれるのは、師ヤコプ・トマジウス(1622-1668)とライプニッツが交わした書簡の一部である。なかでも1669年4月にライプニッツから送られた手紙は、彼の初期思想を理解するうえで欠かせない史料であり、日本語で読めるようになったことは大変喜ばしい。

 書簡中でのライプニッツの主な主張は、「アリストテレスの哲学が改革哲学と十分調和するように思われます」(43ページ)というものである。改革哲学というのは、「大きさ、形(figura)、運動だけが物質的特性を説明する場合に用いられるべきであるという原則」を有する哲学のことである。しかしこの原則はまさにアリストテレスへの反論として準備されたのではなかった。大きさ、形、運動しかないと主張することは、事物のうちに非物質的な形相を認め、これを運動と静止の原理とするというアリストテレス哲学の否定にほかならなかったのではないか。

 そうではないとライプニッツは言う。アリストテレスの根本原則は「いかなる物体も外部から動かされるのではければ、動くことはありません」(41ページ)にある。このためすべての物体は、外部にある物体ではないものによって動かされねばならない。この動者は精神であり、神である。では形相とはなにか。それは物体がとる形である。形とは物体が一定の限界をもつことから生じる。この限定は物体が分割されることから生じる。分割は運動から生じる。したがって結局、形相の起源は運動に求められる。

 運動は神から与えられる。よって物体のうちに運動は実在的なものとしては存在しない。一定の動きとなる運動は、瞬間瞬間に神によって創造されている。「この見解はこれまで耳にすることもなかったものですが、明らかに必要なものであり、無神論者を黙らせるものなのです」(48ページ;訳文を少しだけ変更)。

 以上が正しいアリストテレス解釈である。よって個々の事物に自律した運動の原理である形相を認めるのは誤りである。このような過ちを犯した人物として、たとえばカンパネッラやマルクス・マルキがいる。彼らは生命をもたず、また延長ももたない実体形相に、感覚や知識や想像力を帰属させている。アグリッパはすべての事物に天使を割りふっている。スカリゲルは形成力に知恵を認めている。「このようにわれわれは実体的形相があるのと同じだけ多くの小さな神々、異教の多神教に戻ることになります」(46ページ;誤字を修正)。ここから彼らは自然のうちに欲求や知識を認めていくことになる。いわく「自然は無益なことをしない」などなど。だが自然のうちにあるのは知識ではなく、むしろ秩序であり、この秩序は神に由来する。自然は「神の時計」なのだから。

 ここからわかるように機械論とアリストテレス哲学の調和、そして連続創造説という、後のライプニッツ哲学にとって重要な意味をもつ考えがすでに現れているのである。