古代ローマの剣闘士競技

 古代ローマで600年に渡って続けられた公認殺人競技である剣闘士競技についての概説書です。今後長きにわたって日本語で剣闘士について調べるときの出発点として用いられ続けるでしょう。

 剣闘士競技は前4世紀のはじめ頃に南イタリアのカンパニア地方で行われはじめたと考えられています。死者の魂を剣闘士たちの流す血で供養しようというこの慣習はローマにも伝来し、最初の剣闘士競技が前264年に行われたと伝えられています。葬儀集会の一環として営まれていたこの競技は次第に祭儀色を薄め世俗化していきます。とりわけ競技に熱狂する市民の支持を取りつけるために公職候補者が選挙活動の一環として開催するようになるにつれて、規模は拡大し、見世物としての性格は強まり、父祖の供養という側面は口実に過ぎなくなっていきました。見世物となった剣闘士競技の人気は高く、ローマが征服した各地に競技のための円形競技場が建てられました。これらは遺跡として今も見ることができます。

 剣闘士たちは戦争捕虜や犯罪者、あるいは売りに出された奴隷たちから構成されていました。しかし中には自由身分にありながら剣闘士養成所に入っていた者もいました(10人に1人程度はそうだったのではないかと著者は推定しています)。剣闘士養成所では剣闘士たちは商品として厳しく管理され過酷な訓練を施されました。彼らは鞭を持つ訓練士のもとで木の武器を使って来るべき戦いに備えたと推察されています。サムニウム闘士、トラキア闘士、魚兜闘士、網闘士といった多様な種類の剣闘士がいたことが文書資料や図像資料から分かっています。剣闘士たちは競技の中で勝つか引き分ければその戦いでは生き残れます。もし負けたとしても主催者が助命を認めれば助かります。生き残り続けて高い評価を得ると最終的には開放されます。著者の推定では1世紀ではおよそ10人に1人は生きたまま剣闘士の舞台から身を引くことができたのではないかとされています。

 長きに渡った剣闘士競技も終りを迎えます。その理由として著者は二つの理由を想定しています。一つは剣闘士興業が次第に競技としての性質を失い単なる殺人ショーと化して、面白みを失ってしまったのではないかというものです。1世紀の時点では試合に負けた剣闘士もかなりの確率で助命されていたものの、時代が下ると負けたものはことごとく殺されるという事例が現れてきます。もう一つの理由は、皇帝が「主人(ドミヌス)」と呼ばれるようになりローマにいる人間を父として慈愛を持って保護するという統治理念が全面に押し出されると、血なまぐさい剣闘士競技によって人々に規律と軍国精神を育むという動機は失われてしまったということです。

 全体として剣闘士競技の歴史についての論点を手際よく、網羅的にまとめてあります。また興味深い引用も多くあるので、一種の資料集としても使えると思います。参考文献表と年表も有用です。また図版資料が多いことも楽しみの一つです。さらに詳細な索引が付されているのはさすが山川出版と言いたくなります。ただ文章のつながりや段落の構成を自然な論理的流れからあえて外しているところが多々あり、学術書を読みなれた者にとっては時につらいものがあったことを記しておきます。また古代ローマの専門家からはもっと突っ込んだ考察があるべきだったとの批判が寄せられるかもしれません。

 ここまであえて触れてきませんでしたけど、実はこの本のハイライトは第I部 にあります。ここは目をみはるほどよく書けています。著者の才能を感じざるをえません。一体どのようなものか?それは実際に手にとって確かめてみてください。