アリストテレスの混合論

アリストテレス全集4─天体論・生成消滅論

アリストテレス全集4─天体論・生成消滅論

 アリストテレスの混合理論とは何を説明するためのもので、またなぜ解釈上の争点になったのかということを簡単にまとめてみました。

 混合についてのアリストテレスの学説は一見すると彼の自然哲学のなかで目立った位置をしめていない。もっとも独自で、それゆえ解明が必要であると考えられてきたのはむしろ運動と生成・消滅の概念であった。しかしひとたび彼の物質理論によって自然世界を説明しようとすれば、直ちに混合の理論の重要性は明らかとなる。四元素を例にとって考えてみよう。生成と消滅の理論が説明できるのは、ある元素が別の元素に変化する過程である。たとえば熱と乾という質の組み合わせからなる火は、乾が湿にとってかわられるとき空気に変わる。この時火は消滅し、空気が生成する。しかし元素の変化(transmutation)だけでは、なぜ月下界に多くの複雑な事物があるかが説明できない。そのためには元素が混ぜ合わされることでいかにしてより複雑な複合体ができるかを明らかにせねばならない。この過程をアリストテレスは2つの段階を想定することで説明する。最初の段階では諸元素の組み合わせが「同質的」複合体をつくる(たとえば肉や骨)。これらが同質的とされるのは、そのどの部分をとっても全体と同じだからである。これらが組み合わされてさらに別の同質的な複合体をつくることもできる一方(たとえばブドウ酒と水が混合する場合)、異質的な複合体を生み出すことも可能である(たとえば顔)。これはさらに別の異質的複合体と結合して、より複雑な組織をつくる(たとえば人体)。したがって月下界というのは究極的には同質的複合体の組み合わせの総体とみなせることになる。この基本単位がいかにしてできるかを説明するのがアリストテレスの混合理論であった。
 『生成消滅論』の第1巻第10章でアリストテレスはまず生成・消滅と混合を区別する。木を火と接触させると、前者は燃えて消滅する。この場合と異なり、混合の際には混ぜられるものはすべて保存される。しかし同時に混合物というのは材料の単なる並列(例えば小麦の粒と大麦の粒を混ぜたもの)とも区別されなくてはならない。なぜなら混合物は同質的だから。したがって混合物中では材料がある意味では存在していて、ある意味では存在していないと考えなければならない。アリストテレスはこのジレンマを現実態と可能態の枠組みを適用することで解消する。

しかし、存在するものと言っても、そのあるものは可能的にそうであり、またあるものは現実的にそうなのであるから、混合せられた要素も、意味いかんではあることもあらぬことも可能である。つまり現実的にはそれら要素から構成されて生じたものはそれらとは異なったものであるが、だが可能的には、それぞれの要素はなお混合される以前にそれがあったままの姿であるから。かくて、混合された要素は滅びてしまうことなしに存在しうる。実にこのことがわれわれの先の議論が提起した困難なのである。だが、混合されているものは、それ以前にすでに離れてあるものから構成されており、同時に、再び切り離されることが可能であるということは明らかである。

材料は混合物の中で可能態として存在している。この状態が混合を生成・消滅と並列の双方から区別する。さらにアリストテレスは材料の分離可能性という重要な洞察を付け加えている。
 以上のような基本的な規定を与えたあと、アリストテレスは混合が起こる条件を絞ってゆく。まず材料同士の相互作用が均衡状態を達成するために、材料が持つ力は対立していて、しかも互角でなければならない。混合が起こりやすいのは、材料が少量である場合である。逆に多い場合は混ざるのに時間がかかる。このことは小さく分割されやすい物質ほど混合されやすいことを意味する。特に形を柔軟に変える性質を合わせ持つ液体はもっとも混合に適している。最後に混合のフォーマルな定義が与えられる。「混合とは混合されるものどうしが質的変化を受けることによって生じた、それらのものの一体化なのである」。
 アリストテレス自身は自分の説明に満足していたのかもしれない。しかしそれは多くの問題を説明しないまま残した。もっとも厄介なのは、材料が混合中で可能態として存在するとはいかなる事態なのかを理解することである。この可能態は材料が復元されることを可能にするような形で定式化されなければならない。古代から初期近代にいたる多くの解釈者たちはこの問題を質料形相論の枠組みのなかで解こうと試みた。彼らが問うたのは、混合物の中で材料の形相、およびその形相にともなう諸性質がいかなる状態にあるかであった。この問いをめぐって多様な解釈が生み出されていくことになる。