哲学の歴史と医学の歴史

Organism, Medicine, and Metaphysics: Essays in Honor of Hans Jonas on his 75th Birthday, May 10, 1978 (Philosophy and Medicine)

Organism, Medicine, and Metaphysics: Essays in Honor of Hans Jonas on his 75th Birthday, May 10, 1978 (Philosophy and Medicine)

  • 「中世とルネサンス期イタリアにおける哲学と医学」Paul Oskar Kristeller, “Philosophy and Medicine in Medieval and Renaissance Italy, ” Organism, Medicine, and Metaphysics: Essays in Honor of Hans Jonas, ed. Stuart F. Spicker (Dordrecht: Reidel, 1978), 29–40 = Kristeller, Studies in Renaissance Thought and Letters, vol. 3 (Rome: Storia e Letteratura, 1993), 431–42.

 ルネサンスまでの医学と哲学の関係を手際よくまとめた一本です。ヒポクラテス文書からはじまり、アリストテレス、ガレノス、アヴィセンナアヴェロエスにいたるまで医学は常に独立した学問の一分野でありながら、哲学と密接な関係を保ってきました。11世紀終わりごろからはギリシア語、アラビア語の医学文献がラテン語に訳されはじめます。サレルノ学校はその中心地の一つであり、12世紀から13世紀はじめまで医学教育の中心でした。

 しかし医学と哲学の結びつきが最も深められたのはサレルノではなく、ボローニャ大学においてです。ローマ法を学ぶ場として出発したボローニャの学校は、やがて法学と学芸・医学の2つの学部を備えた組織にまで発展します。この2学部モデルにしたがって数多くの大学がイタリアで設立されました。その結果、同地の大学は独立した神学部を備えないことになります。このためそこでは神学者の発言権は弱く、また神学者を志す学生もほとんどいませんでした。また学芸学部が医学部とセットになっていることから、次のような医学者の典型的キャリアが形成されました。すなわち、まず学芸の領域で博士号をとり、それから医学分野でも学位をとる。大学で教える時もまず学芸科目を担当する教授となってから、医学教授となるといった具合です。たしかに15世紀半ばからは医学に携わらない多くのアリストテレス主義者が現れるものの、彼らの多くがやはり医学に強い関心を示していました。医学者もまた引き続き哲学的問題に取り組んでいました。

 このようなイタリアの医学教育の伝統が衰退しはじめるとき、同時に医学へのアリストテレス哲学の影響も消滅しはじめることになります。その衰退局面がクライマックスをむかえるのが19世紀でした。

 クリステラーによれば、このような医学と哲学との強い結びつきがあるのだから、哲学史家は医学史の文献にあらわれる人物たちの哲学的側面に着目する必要があります。逆に医学史家は医学者の哲学的バックグラウンドや関心を軽視する傾向をあらためなければなりません。さらに哲学史家も医学史家も互いから学ぶだけでなく、大学史家の研究を使って哲学者、医学者の生徒・教師としてのキャリアに光をあてる必要があるとされます。