- 「ルネサンスのアリストテレス主義」Paul Oskar Kristeller, "Renaissance Aristotelianism," Greek, Roman, and Byzantine Studies 6 (1965): 157–74 = Kristeller, Studies in Renaissance Thought and Letters, vol. 3 (Rome: Storia e Letteratura, 1993), 341–69.
はじまりのクリステラーによる論文です。半世紀近く前のものでありながら、今でも学ぶべき重要な洞察が含まれています。たとえば以下の2つの注意。第1にルネサンスのアリストテレス主義者を、トマス主義者、スコトゥス主義者、オッカム主義者、アヴェロエス主義者、アレクサンドロス主義者というように分類すること難しいですし、そのような分類をすることには慎重でなければなりません。一人の解釈者の権威を絶対的なものとして認めている哲学者はほとんどいませんでした。問題ごとに支持する解釈者を変えていた人が大半です。第2にトマス・アクィナスの重要性を大きく見積もりすぎてはなりません。彼はなるほどドミニコ会の内部では特権的な権威を与えられていました。しかしそれ以外の場所では、彼は他の優れたアリストテレス解釈者のうちの一人に過ぎませんでした。スコラ哲学をトマス主義と同化させてはなりません。
イタリアのアリストテレス主義についての記述からも学ぶことがあるでしょう。イタリアの諸大学には神学部がなく、アリストテレス主義は医学と密接な関連を持って発展しました。その結果、イタリアのアリストテレス主義は形而上学的な前提よりも経験から議論を出発させる自然主義的傾向を持つようになります。このことが哲学と神学の切り離しを可能にし、のちの経験主義、自然主義、自由思想の土壌を提供することになります。
ただイタリアが知的にアルプス以北から切り離されていたわけではもちろんなく、15世紀から16世紀にかけてはパリとオックスフォードの学者たちの学説が熱心に学ばれました。イタリア内部で起こった人文主義運動からは、古代の著作、とりわけギリシア人アリストテレス注釈家(そしてとりわけアレクサンドロス)の出版、翻訳が逍遥学派に新しい知的ソースを与えました。同じく人文主義者たちによって見出されたプラトン主義やストア主義の学説もしばしばアリストテレス主義者によって取り込まれました。
プラトン主義からの影響は、アヴェロエスの知性単一説があれほど弾圧されながらも支持者を見出したことを説明するかもしれません。一つしかない受動知性にアクセスすることで人間は知識を得るというアヴェロエスの学説の魅力は、プラトン主義とは異なる仕方で、真なる知識の存在を保証してくれるように思えた点にあったかもしれないからです。これとは逆にプラトン主義陣営からのアリストテレス批判は、教会による世俗的なパドヴァの教員たちへの弾圧へとつながったこともありました。