アリストテレス主義の統一性と多様性

ルネサンス哲学

ルネサンス哲学

  • 作者: チャールズ・B.シュミット,ブライアン・P.コーペンヘイヴァー,Charles B. Schmitt,Brian P. Copenhaver,榎本武文
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本
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 ルネサンス哲学についての標準的概説書から、アリストテレス主義の概要を述べた部分を読みました(59–75頁)。中世以来アリストテレス主義は論理学を発展させ、キリスト教との折り合いをなんとかつけ、投射体の問題についてアリストテレスの見解を修正するなど、柔軟な発展性をみせていました。

 ルネサンスに入ると人文主義からの挑戦が起こります。ブルーニが着手したアリストテレス読解の古典主義化は、スコラ学的方法に完全に勝利をおさめることはなく、2つの手法は緊張関係を保ちながら融合していきました。16世紀初めにはアリストテレス主義文書に『機械学』と『詩学』が加わり、解釈の道具として古代のアリストテレス註釈家たちの著作が広く利用可能となります。『機械学』はガリレオの思想形成に多大な影響を与え、『詩学』は人文主義的傾向を持つ論者に広く読まれました。註釈家のなかではフィロポノスがアリストテレスに向けていた批判は、アリストテレス自然学の瓦解に力をかすことになります。

 中世以来スコラ学内部で発生していた諸流派はルネサンス期以降も引き継がれていました。パドヴァ大学はトマス主義とスコトゥス主義の教授職を別々に用意していましたし、17世紀の出版社もこれら2つの主義に対応する別々の教科書を出版して利益を得ようとしていました。またアリストテレス主義が中世から引き継いでいた大きな対立項として、北ヨーロッパの哲学者の神学的傾向と、イタリアの大学教授の科学的(世俗的)傾向という違いも存在しました。イタリアでは医学への関門として論理学と自然哲学を教えるために多くの哲学者が雇用されていたため、彼らは自らの哲学活動を信仰と結びつける強い動機を持っていなかったのです。

 宗教改革の両陣営ともアリストテレスの哲学を教育の基礎にすえ続けました。ルターは、「アリストテレスは徐々に王座から没落しつつあり、最終的な破滅は時間の問題にすぎない」と豪語していたものの、実際に彼の追随者たちが信教のための教育計画を練ろうとしたとたん、アリストテレスを避けてとおることができないのは直ちに明らかとなりました。カトリックの側もイエズス会サラマンカ学派(スアレスを生んだ)が対抗宗教改革アリストテレス主義の思想面から推し進めていました。

 こうしてアリストテレス主義は、新しい手法、著作、古くからの対立、新たに生じた対立、地方ごとの傾向性の違い、そして個々の論者が目指していたところの違いから来る膨大な多様性を抱えながら、それでもアリストテレスを出発点に探求を行うという統一性を維持していたのです。