アリストテレスへの文法学的接近 Kessler, "The Lefèvre Enterprise"

Philosophy in the Sixteenth and Seventeenth Centuries: Conversations with Aristotle

Philosophy in the Sixteenth and Seventeenth Centuries: Conversations with Aristotle

  • Eckhard Kessler, "Introducing Aristotle to the Sixteenth Century: The Lefèvre Enterprise," in Philosophy in the Sixteenth and Seventeenth Centuries: Conversations with Aristotle, ed. Constance Blackwell and Sachiko Kusukawa (Aldershot: Ashgate, 1999), 1–21.

 アリストテレス主義の多様化の現認について、従来とは異なる見解を示した論文を読みました。様々なアリストテレス主義(Aristotelianisms)の出現は、16世紀初頭にはじまります。その要因として、ギリシア人註釈家たちの著作がこのころ広くラテン語訳で利用可能になったことがこれまで挙げられてきました。しかしギリシア人註釈家の著作はあくまで註釈書であり、その利用が中世以来のアリストテレス註釈の伝統を掘り崩すとは思えません。アリストテレス主義の多様化には他の要因がなかったのでしょうか。

 そこで注目されるのが人文主義者の手法です。中世以来の文法学では、テキストにある議論の構造を見抜き、それを論理形式に沿って整理した上で議論をすることがなされていたわけではありません。むしろそこでは語の意味を正確に確定し、その確定から得られた知見を学生が覚えやすいように工夫することに重点が置かれていました。15世紀に入って人文主義が隆盛すると、エルモラオ・バルバロやアンジェロ・ポリツィアーノのような人物たちは、この文法学の手法をアリストテレスのテキストにも適用するようになりました。彼らのもとでは、アリストテレスの読解は本文を正確になぞりながらその論理を抽出するというよりも、彼の議論の要点を確定し、それを学習・記憶に適した形で配列するという営みになります。

 パリで活動したジャック・ルフェーブル・デタープルは、イタリアに旅行したさいにバルバロ、ポリツィアーノと親交を深めていました。ルフェーブルもまた新たな人文主義的方法をアリストテレスに適用し、その成果を数多くの教科書として出版します。アリストテレスの哲学が彼の著作本文からは切り離された形で要点として整理され、理解と暗記に資するような配列上の工夫がなされました。しかもこうしてできた教科書は、最終的にアリストテレスを読むための準備段階の著作ではなく、それ自体から学問の基礎を学ぶという一次的なテキストと見なされました。これに伴いアリストテレスの哲学は絶対的な権威というよりも、学問の基礎を提供する有用な哲学諸派のうちの一つ(しかし最も重要な一つ)とみなされるようになりました。ザ・フィロソフィーがア・フィロソフィーに格下げされたのです。アリストテレスが絶対的な権威ではなく知を構築するための一種のツールとなったことにより、アリストテレスに基礎を置きながらも、それを様々な形で利用する哲学者たちが現れることになります。これがアリストテレス主義の多様化でした。

 しかしアリストテレスの著作本文から離れて学問をするとなると、伝承されてきたテキスト配列とは独立に、学説や観念を提示するための適切なフォーマット、順序が求められるようになります。ルフェーブルもその教科書のなかで挑戦していたこの課題は、彼以後にはルドルフ・アグリコラペトルス・ラムス、バルトロマエウス・ケッカーマンに引き継がれることになります。