ユリウス・ボルドーニのエピグラム

 ユリウス・カエサル・スカリゲル(1484–1558)という人物は名前からしヴェローナのデラ・スカラ家の末裔であるかのように装っていますけど、実際には細密画家の子供としてパドヴァに生まれた人物で、本名はユリウス[ジュリオ]・ボルドーニと言いました。彼が自らの出自を偽りはじめたのはフランスに移りすんでからで、それ以前本名で活動していたときのことはほとんど知られていません。ボルドーニの名前で出版されたものは、プルタスコスの『列伝』のラテン語訳(これこれ)といくつかの詩だけです。

 これらの詩のうち、彼の知的形成を探る上でとりわけ大きな意味をもっているのが、1516年にヴェネツィアで出版されたとある著作の巻頭に彼が寄せたエピグラムです。この本はアントニオ・デ・ファンティス(Antonio de Fantis, 1533年死亡)という人物が編んだスコトゥスの著作にたいするインデックスでした。この人物はパドヴァ大学スコトゥス主義形而上学教授について学んでいたことで知られています。この著作にボルドーニ(将来のスカリゲル)が詩を寄せていることは、彼が当時のパドヴァ大学スコトゥス主義の哲学を支持する人々と親交があったことを意味します。さらにこのことは、彼が若い間一時期フランシスコ会修道院に入っていたという伝承にも信ぴょう性を与えてくれます。

 前置きが長くなりました。この度この詩を日本語に訳してみましたので、ここに掲載しておきます。いちおう注目点としては、彼がスコトゥスの哲学について「かつては輝いていたが今はその輝きを失っており、それがファンティスの手で再びその輝きを取り戻すだろう」と考えていたことです。これはパドヴァ大学という場所でスコトゥス主義が置かれていた立場についてなにほどかのことを語ってくれるでしょうし、スカリゲルののちの著作を理解する上でも重要なポイントになります。

自由学芸を学ぶパドヴァのユリウス・ボルドーニが読者に送るエピグラム

金を運ぶ砂があるリディアのパクトルス川は無意味だ。紅海からやってくる丸い真珠は無意味だ。近づくことのできない崖で守らているエメラルド―それを最果ての地インドが太陽の土地から送ってくる―は無意味だ。このような自然の隠れ家を人間の熱意が征服して、そのことによってこれらの地名にとって輝く名声がやってこない限りは。スコトゥスの黄金はなぜ隠されていたのだろう。あるいは威厳ある男の宝石のような言葉はなぜ知られていなかったのだろう。しかしファンティス―彼は西の海から東の海まで北風が激しい寒さで大地を凍えさせる場所で知られている―が夜もふけたころに労力を搾り取って、それを自らの勉学への燃え上がる願いへと傾けたあとには、いまや[スコトゥスの]きらめく口の名誉が閃いて、スコトゥスのもとにかつてあった輝きが戻った。あなたが誰であれ透明な海に恐れをしらない船を駆れ。学説が一つ一つしかるべき場所に置かれている。

ラテン語

 引用元の本はこちらで閲覧することができます。ラテン語にチャレンジしたい人はどうぞ。

 転写すると次のようになります(エレゲイアなのに字下げができていなくて申し訳ない)。

Julii Bordoni Patavini Liberalium Disciplinae Cultoris ad Lectorem Epigramma.

Lydius Aurifera frustra est Pactolus Arena:
Queque venit rubro Bacca rotunda Sinu.
Quicquid inaccessa seruatur Rupe Smaragdi:
Ultima quod Solis India mittit Agris.
Has nisi Nature Latebras Industria vincat:
Ex quo Nominibus candida Fama venit.
Aurea quid Scoti fuerant abstrusa Metalla?
Quidve ignota grauis gemmea Dicta Viri?
At postquam exhaustos multa sub Nocte Labores
Contulit ad Studii feruida Vota sui.
Fantis ab occiduis eoas notus ad Undas
Qua Boreas rapido frigore torret Humum.
Iam tum siderei fulserunt Oris Honores
Et Scoto rediit qui fuit ante Nitor.
Quisquis es intrepidam duc per freta limpida Cymbam:
Condita sunt propriis Dogmata queque Locis.