パドヴァのアリストテレス主義と古代ギリシア人註釈家  Mahoney, "Nicoletto Vernia on the Soul and Immortality"

Two Aristotelians of the Italian Renaissance: Nicoletto Vernia and Agostino Nifo (Variorum Collected Studies)

Two Aristotelians of the Italian Renaissance: Nicoletto Vernia and Agostino Nifo (Variorum Collected Studies)

  • ニコレット・ヴェルニアの霊魂と不死性についての見解」Edward Mahoney, "Nicoletto Vernia on the Soul and Immortality," Philosophy and Humanism, ed. Mahoney (Leiden: Brill, 1976), = repr. in Mahoney, Two Aristotelians of the Italian Renaissance (Aldershot: Ashgate, 2000), article III.

 1500年代の終わりごろにパドヴァ大学で活動したニコレット・ヴェルニア(Nicoletto Vernia, 1499年死亡)が、人間知性についての見解をいかに変化させたかを調べた論文を読みました。ある哲学者の学説の変化をうまく彼をとりまく状況と関連づけています。パドヴァ大学で教授をつとめていたヴェルニアはある時点までは、受動知性は万人に共有され一つしかなく永遠に存在するものだというアヴェロエスの見解を、アリストテレスの正確な解釈として受け入れていました。ラテン中世以来伝統的に支持されてきたのは知性というのは各人の実体形相であり(それゆえ複数ある)、その身体に結びついており、死後はそこから分離しうるというものでした。ヴェルニアはこれを否定します。また彼はアリストテレスキリスト教徒ではないのだから、正しく解釈されたアリストテレス(すなわちアヴェロエスの解釈)はキリスト教の教えと整合的であるはずがないと考えていました。

 この見解が変化するのは1489年以後のことです。その年パドヴァの司祭であるピエトロ・バロッツィ(Pietro Barozzi)が知性単一説を公の場で議論することを禁止する命令を出します。ヴェルニアを念頭においた布告でした。これを受けてヴェルニアは見解を変化させます。1492年に書き上げられた著作では、知性は身体の実体形相であるという学説がアリストテレスに帰され、アヴェロエスの単一説は否定されます。それだけでなく、この見解はプラトンと共通のものであり、さらにプラトンアリストテレスも人間霊魂はその身体の誕生以前に永遠の昔から神によって創造されており、身体のなかに入ってからは以前の状態のことを忘れているものの、学習によってかつて有していた知識を思い出すことができると考えていたとされます。アリストテレスの想起説!

 アヴェロエスの知性単一説から離れ、アリストテレスプラトンの一致を見出すにいたった理由は、ギリシア人とアラビアの解釈者の著作を読んだからだとヴェルニアは述べています。当時新たにラテン語訳が利用可能になっていた古代ギリシア人註釈家たちのなかにはプラトン主義者として、プラトンアリストテレスとの一致を唱えていた者がいました(たとえばシンプリキオス)。司祭からの警告を受けたヴェルニアは、この古代以来のプラトンアリストテレスの調和のこころみに、正確でありながら正統信仰に近いアリストテレス解釈への活路を見出したのです。